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自分なりの秩序を作り上げ、それを維持していくこと

年末年始だからという訳ではなく、私は毎週自分の部屋に掃除機をかけている。
週末に必ずすることの1つが、部屋の掃除である。

子どもの頃から、掃除をすることは苦ではなかった。
机の中や鞄の中、ロッカーの中、自分の部屋。
色んな物をしかるべき場所に収め、しかるべき序列を与える。
するとそこには、ある種の秩序が生まれる。
その感覚が好きで、一時は自分は潔癖症なのではないかと疑うほど掃除に凝っていた。

整理整頓をし、掃除をすることは、私にとってとても自然で、大切なことである。
気持ちを落ち着け、思考をクリアにしてくれる。
掃除とは私にとっていわば、無意識的に行うある種の儀式のようなものである。

昨日、内田樹さんのこちらの記事を読んで、こういう表現や文章が書ける人っていいなぁと思った。

参照:『ご飯を作り、お掃除をすることの英雄性

掃除については、これまでブログに何度も書いたが、これは「宇宙を浸食してくる銀河帝国軍」に対して、勝ち目のない抵抗戦を細々と局地的に展開している共和国軍のゲリラ戦のようなものである。

部屋は必ず汚れる。本は机から崩れ落ち、窓にはよごれがこびりつき、床にはゴミが散乱する。局地的に秩序が回復することはあっても、それはほんの暫定的なものに過ぎない。
無秩序は必ず拡大し、最終的にはすべてが無秩序のうちに崩壊することは確実なのである。
けれども、それまでの間、私たちは局地的・一時的な秩序を手の届く範囲に打ち立てようとする。
掃除をしているときに、私たちは宇宙的なエントロピーの拡大にただ一人抵抗している「秩序の守護者」なのである。

精神科医は心を病んだ患者にしばしば「部屋を掃除しなさい」という実践的忠告をする。「お掃除をする人」はその非冒険的な相貌とはうらはらに、人類に課せられた「局地的に秩序を生成するためのエンドレスの努力」というシシフォス的劫罰の重要性を理解している人なのである

例えば、友達の家に遊びに行ったとき、宿泊先のホテルに着いたとき、引越し先のアパート、会社のデスク、車の中、何処に行こうとも、「自分なりにその空間を作り上げる」作業というのが好きだ。
例え数時間しか滞在しないような場所でも、「どこに何を置くか」というのを瞬時に考える癖がついている。

「自分の居場所」なんていうものがこの世のどこかに存在しているのではなく、それは、自ら構築していくものなのではないだろうか。

人生とは、自分なりの秩序を作り上げ、それを維持していく作業の連続なんだと思う。

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明日から久しぶりの博多です。

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