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自分だけの文体を目指して

同じ日本語でも、使う人によってその表現方法は様々だ。
言わんとしていることは同じでも、そこに辿り着くまでの距離や過程、道中や辿り着いた後に見える景色もひとりひとり異なる。

言葉の選び方や比喩の使い方、テンポ、リズム、表現の強弱、その文章をその人のものたらしめる要素はたくさんある。
私は、せっかく文章を書くのだから、そこに何かしら自分の匂いのようなものを残したいと思っている。

つまるところ、「自分だけの文体」というものを獲得したいのだ。

そもそも、「文体」とは何だろうか。

文体−Wikipedia

“文体(ぶんたい)とは、文章・散文のスタイルのこと。文芸評論の研究対象になり、時にはある作品の背後に作家性を見いだす際の根拠の一つとされる。”

Wikipediaには上記のように定義されているが、私は「文体」とはその人の姿勢や精神性そのものだと思う。
つまり、「意志」や「心の底にあるもの」といった曖昧で無形なものほど、その人の文章に現れるのではないだろうか。

逆説的な言い方になるけれど、自分だけの文体を獲得するためには、とことん「自分であること」が求められるのではないか。

私は村上春樹や、村上龍の文体がとても好きだ。
だが、「彼らのように」文章が書けるようになりたいとは思うが、「彼らのような」文章を書きたいとは思わない。
なぜなら私が「彼らのような」文章を書こうとすれば、それは「彼らのような文章」になってしまうからだ。
つまり、そんなものは「自分だけの文体」なんかじゃなく、他者の介在する借り物の文章になってしまう。

下手くそでも未熟でもいいから、自分の頭で考え、自分の言葉で表現することが大切なのだ。
「ああ、◯◯を意識して書いたんだな」と読み手に思わせるような文章ほど気持ちの悪いものはない。

だがそれでも、人は自分の憧れや尊敬の対象に影響を受けやすいし、それはある程度仕方のないことだとも思う。

最初は皆、誰かのコピーなのだ。

大切なのは、如何にそのコピーから脱却し、オリジナルを獲得するかだ。

綺麗な文章を書きたい。
力強い文章を書きたい。
誰も思いつかないような比喩を用いたい。
美しい表現で表したい。

書くというよりかは、描く。

読む人に具体的なイメージを喚起させるような文章。
読んだ人を何か具体的な行動へと導くような文章。

そんな文章を書きたいと思うのです。

これからも書き続けよう。

自分だけの文体を求めて。

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