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極端にブレてみないと自分の芯が見えてこない

「ブレる」ということは一般的にはあまり良いことだとはされていない。

意志がブレたり、意見がブレたり、方向性がブレたり。

だけど私は、人生において極端にブレてみることが、自分の芯をはっきりさせる上で大切なことだと考えている。
自分の芯をはっきりさせるということは、自分の価値観を見つめ直すということだ。

「自分はそもそも、何が大切で、何に幸福を感じるのだろう」と、改めて考え直すということだ。

優しい人ではなく、優しくあろうとする人が一番優しいという記事にも書いたが、人は自分のことをなかなか客観視することができない。
中には、「自分はこれが好きなんだ」と思い込んでいるだけで、いざそれを無くしてみると意外と平気だったりもする。

今自分の居る場所から物理的にも精神的にも離れてみること。
そうすることが、自分がもともと居た場所、状態を客観視する手助けになる。

ずっと一つのことをやり続けることが出来る人も中にはいる。
そういう人はとても素晴らしいと思うし、尊敬もする。

ただ私は、いろんなものを見て、いろんなところに行き、その上で「自分」というものを見出したい。

上にも下にも、右にも左にも極端にブレてみて、どこが自分に一番しっくりくるのか、どういう状態が自分にとって一番心地いいのか、出来る限りたくさん試してみたい。

日本一おいしいお茶漬けの味を知っている人より、世界中のおいしい料理を食べてきた人の方が魅力的だし、東京の穴場を知っている人よりも、聞いたことも無い国の風景を見てきた人の方が魅力的だ。あくまで自分にとっては。

最終的にはAという場所に落ち着くのかもしれない。
どんな生き方をしても、私が行き着くところは同じ場所かもしれない。

でも、Aという目的地しか知らなかったからAにたどり着くのと、BやCやDやEといういろんな道を経て最終的にAにたどり着くのとでは、たどり着いた同じAという景色の見え方は全然違うはずだ。

大切なのは、どうやってそこにたどり着き、その過程でどれだけの景色を目にしてきたのか、ということ。

ブレればブレるほど、自分の中の揺るがない芯が色濃く浮かび上がってくる。
逆に言えば、ブレてもブレてもそれでも変わらない価値観こそが自分の芯なのだ。

「自分の芯が無い」と言うことがあるが、無いのではない。
気付いていないだけだ。

何もせずに自分の奥底にある芯に気付ける訳が無い。
動かなければ、揺り動かさなければその芯は決して顔を出さない。

生まれながらにその芯をしっかりと手に握りしめている人も中には居るだろう。

でも幸か不幸か、私はそういったタイプの人間ではない。
それは自分が一番よく分かっている。

ひとつの目的に向かってまっしぐら、という人生も素敵だと思う。

でも私はやっぱり、いろいろ寄り道しながら、「こんなに素晴らしい景色があったのか」「まだ自分にはこんなやりたいことがあったのか」と、いくつになっても感動しながら生きていきたい。

IMG_0386
琵琶湖 筆者撮影

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コメント

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  3. […]  この辺は、以前に書いた「極端にブレてみないと自分の芯が見えてこない」という記事の内容にも通じるものがあります。 […]