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ビジネスにおける文章

このブログでも度々取り上げているとおり、私は村上龍の書く小説、エッセイが大好きです。

この記事のタイトル「ビジネスにおける文章」は、村上龍のエッセイ無趣味のすすめの一章から拝借しました。

この「無趣味のすすめ」という作品は、1000文字未満の短編エッセイが61編まとめられた本なのですが、全てがとても示唆に富み、私にとっていわばバイブル的な存在になっています。

以前こちらの記事でも紹介しました。

参照:『目標を持つということは憂鬱なことである

村上龍が考える「仕事における文章」とは。

仕事における文章は、「正確で簡潔」でなければならない。
そして、それは非常に難しい。
実は、小説の文章も同じように「正確さと簡潔性」が求められる。
当たり前のことだが、文章というのは読む人に理解されなければならない。
正確でなければ情報は意図は伝わらず、理解されないし、簡潔であればあるほどその制度は増す。

これはブログを書くうえでも一番大切なことなのですが、「自分が伝えたいことが伝わる文章」を書かなければなりません。
どんなに素晴らしい高潔な文章を書こうと、伝わらなければその文章に価値はありません。

実際の作業は全然違う。
脳に負荷をかけて、できるだけ正確に書く、という面白くも何ともない作業の繰り返しに過ぎない。
物語に破綻がないか、人物の造形に誤りがないか、登場人物の行動と態度と発言に不自然さはないか、描写に過不足がないか、比喩は適当か、読者が読んでいくときのリズムを壊してしまうような省略や反復はないか、何度も何度も読み返し、まるで偏執狂のように、余分な文章や言葉をそぎ落とし、足りないシーンや文や言葉を書き足していくという、地味といえばこれほど地味なものはない、というようなことをえんえんと繰り返すのが「小説の執筆」だ。

その結果、文章全体の正確さがあるレベルに達すると、物語の力を増幅させて、読者にある種の依存を生じさせるような「強制力」を獲得することができる。だがそれは「力業」などではない。
ミスが許されないプログラミングとか、科学的な実験とか、ビルの設計などに近いのではないかと思う。

村上春樹も、文章を書くというのは「足しては削ぎ落とす」ということの繰り返しで、「もうこれ以上何も足せないし何も引けない」という地点を見極めることだ、と書いていました。

何が必要で何が必要ではないか。
文章を書くことというのは取捨選択の連続であり、私にとってただ「楽しい」ものではありません。

仕事における文章は、物語性がない分、さらに正確で簡潔であることが要求される。
当然のことだが、コツや秘訣はない。
ダメな文章を書く人は、文章が下手なのではなく、そもそも自分が何を伝えようとしているのか自分で理解できていない場合が多い。
まず、どういったことを相手に伝えなければならないのかを把握しなければ、作業の前提が成立しない。

「自分が何を伝えようとしているのか自分で把握する」というのは本当に大切というか、物事の大前提です。
なぜなら、これが分からなければどういう言葉で、どういう伝え方をすればいいのかという戦略が立てられないからです。

村上龍の質問術という記事にも書きましたが、自分が何を聞きたいのか、何を確認したいのかが分からないのにベストな「質問」というものは考えられません。

つまり、「自分が伝えたいことが伝わる文章」を書く大前提として、「自分が伝えたいこと」を明確に把握しておく必要があるということです。

私は仕事上、英語のメールを書く機会が多いのですが、個人的に英語のメールのほうが書きやすいというか、伝えやすいです。
それは日本語にありがちな不必要な前置きや、まわりくどい表現をしなくてもいいということが大きいのですが、英語の方が表現をシンプルにしやすいです。(単純に語彙が限られているということもありますが…)

仕事にしろブログにしろ、「正確さと簡潔性」というものを常に意識して書いていきたいです。

うまい文章、華麗な文章、品のある文章、そんなものはない。
正確で簡潔な文章という理想があるだけである。

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コメント

  1. […] これは以前にも紹介した、村上龍の「無趣味のすすめ」というエッセイに登場する一節です。 […]

  2. […]      「目標を持つということは憂鬱なことである」      「ビジネスにおける文章」 […]

  3. […] ・「目標を持つということは憂鬱なことである」 ・「ビジネスにおける文章」 ・「年齢というエクスキューズ」 […]