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どこにも出かけようとしない人間が嫌いなだけだ

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「どこにも出かけようとしない人間が嫌いなだけだ。」

これは村上龍の「空港にて」という作品の中で出てくる台詞だ。

先日急にこの作品が読みたくなり、本棚から引っ張りだして読んでみた。
最近ずっと自分の中をぐるぐる浮遊している「旅」という言葉と、登場人物の「海外に出発する」というシーンを描いたこの短篇集が妙にリンクして、貪るように読み始めた。

「どこにも出かけようとしない人間が嫌いなだけだ。」
という台詞を目にして、これは自分のことなんじゃないかと思ってしまった。

先週は大阪にLIVEを見に行ったし、今週もまた大阪にTABIPPOのイベントに行ってきた。
週末はずっと気になっている竹田城に行こうかと思ったが、2月は閉山しているようだ。

移動は、している。

でもそういうことじゃないんだと思った。

自分は、何も変えようとしていないのだ。

「どこにも出かけようとしない人間が嫌いなだけだ。」という台詞が自分の中にしこりのように残ってしまったのは、「何も変えようとしない人間が嫌いなだけだ」と言われている気がしたからだ。
「現実を見ようとしない人間が嫌いなのだ」と。

自分は一体、何かを変えようとしているのだろうか?

先週まで帰省していた姉とランチに行った時、こう言われた。

「まあでも、無理に何かを変える必要もないしね」

その通り。
無理に何かを変える必要はないのだ。

では何故、自分はこんなに何かを変化させたいのだろう。
何故、「変化」というものをこれほど希求するのだろう。

変化させたい「何か」とはなんだろう。

そんなものは最初から分かっている。

自分自身である。

自分自身を変化させることによって目の前の景色を変化させ、到達しうる目的地を変化させたいのだ。

自己愛よりも自己変革。
自分にとって最も耐え難いこととは、何かに依存したり、何かに満足して安心してしまうことだ。

常に強烈な「何か」に飢えていたい。

何かに満足してしまうような退屈な人生にはしたくない。

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コメント

  1. […] 途端、臆病になることがある」というのは痛いほど理解できます。 「どこにも出かけようとしない人間が嫌いなだけだ」という記事にも書きましたが、自分では変化を求めていると思い […]

  2. […] 参照:「どこにも出かけようとしない人間が嫌いなだけだ」 […]