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年齢というエクスキューズ

俺は23歳で『限りなく透明に近いブルー』を書いた、だから23歳なんて若くない、たまに親しい若者にそんなことを言う時がある。

自慢しているわけでも説教しているわけでもない。事実を語っているだけだ。

若者を子供扱いして安心する大人たちと、子供扱いされてヘラヘラ笑う若者たち、それと既得権益にしがみつく老人たちで社会の大部分が構成される国は、ゆっくりと衰退に向かうしかないだろう。”

これは以前にも紹介した、村上龍の「無趣味のすすめ」というエッセイに登場する一節です。

今日は自分の「年齢」に対する考え方を書いてみたいと思います。

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年齢とは相対的なもの

二十代の後半になると、「あ〜、俺ももう◯◯歳かー。」というような声を周りから聞くようになります。
「俺ももう◯◯歳だしな…」とか「あと何年で◯◯歳か…」とか「俺ももう若くないしな。」とか。

私ははっきり言って、こういった発言に何の意味も無いと思っています。

そもそも年齢というのは相対的なもので、どういう状況で、どんな前提で、何と比較するのかによって若い/若くないという結果が変わってきます。

例えば、「27歳という年齢は若いか若くないか」という問いに対しては、「新たな言語を一から習得するには決して若いとは言えない」とも言えますし、「経験やスキルを活かして、転職を成功させるにはまだまだ十分若い」とも言えます。

同じように、「40歳という年齢は若いか若くないか」という問いに対しては、「知識、経験、人脈といった観点から政治家としてはまだ未熟だ。」と言えるでしょうし、「人生80年だとすると、折り返し地点に来たのだからもう若いなんて言ってられない」とも言えるのではないでしょうか。

18歳の人からしたら27歳はおっさんかもしれませんが、70歳の人からすれば40歳の人はまだまだ若造かもしれません。

何が言いたいのかというと、年齢なんていうのはその数字だけ切り取ってみてもどうとでも言えてしまうし、そういった類いの議論にいったい何の意味があるのでしょう、ということです。

もう一つ理解出来ないことがあって、それは「年齢を四捨五入して言う」ということです。

よく、「自分も四捨五入するともう30(40)(50)だから…」といった会話を耳にするのですが、一体どういう状況で自分の年齢を四捨五入して言う必要があるのでしょうか。

27歳は27歳で、それ以上でもそれ以下でもありません。
ただの数字です。

仮に、ひとつの表現としてそういった言い方があるとしましょう。
でも、「だから…」の後には「こういうことが出来るようになっていたい」「こんな人生を送っていたい」「こういうことにチャレンジしてみたい」といった言葉が続くべきだと思うのです。

ただ単に、「自分ももう◯◯歳だしな…」と言われても、「で?」ってなるんです。
一体それがなんだっていうんだ、と。

誰だって歳をとる

当たり前の話ですが、人は皆、誰でも歳を取ります。
そのスピードも、間隔も、皆平等です。
そしてそれは、誰にも止めることも遅らせることもできません。

であるならば、私はその「歳を取る」ということに対して出来るだけ前向きに、肯定的でありたいと思っています。

1日として同じ日が存在しないように、同じ歳というものも存在しません。

15歳の自分と16歳の自分は違いますし、20歳の自分と27歳の自分も違います。
その歳ごとに、やりたいことや考えていること、興味の対象、自分の能力も全て異なります。

結局は、「○○歳だから…」というのは年齢を理由にした、何かを諦めたり、新しいことを始めないことへのエクスキューズに過ぎません。

年齢というのはそういった、ネガティブな動機付けに持ってこいのツールなのでしょう。

年齢を理由に変化しない人達は、もし仮に10歳若返ったとしたら何かを始めたりするのでしょうか。

問題なのはその人が何歳なのかではなく、自分の人生に何を求めていて、どういった生き方をしたいか、ということなんだと思います。

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コメント

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