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敬語が使えることの大切さ

村上龍は「歌うクジラ」という作品で、敬語が消滅した22世紀の世界を描いた。

「敬語は責任の所在を曖昧にする」と公言している村上龍らしい、ユニークな設定でありテーマだ。

同作品では、消滅したはずの敬語を扱える少年が父の意志を継ぎ旅に出る。

また、「希望の国のエクソダス」という作品では、「敬語を使ったいじめがあるのは日本だけだ」という一節も印象的だった。

Wikipediaで「敬語」と検索すると、以下のように表示される。

”敬語(けいご、honorifics)とは、言葉で表現する主体(書き手、話し手など)とその相手(読み手、聞き手)やその話題中の人物との社会的関係(親疎、権力の大小)と態度を表す言語表現である。
ポライトネスを実現する手段の一つであり、狭義には体系的に文法化されているものを指すが、広く敬称などの語彙的表現を含む場合もある。”

”一般的には敬語を尊敬語・謙譲語・丁寧語の3つに分類する。
日本語学においてはさらに丁重語・美化語を立てた5分類が多く使われている。文化審議会も、2007年に尊敬語・謙譲語I・謙譲語II(丁重語)・丁寧語・美化語の5分類にするという敬語の指針を答申した。
敬語にはその性質上、話題中の人物を高めるもの(素材敬語)と話し手が対面している聞き手を高めるもの(対者敬語)があるが5分類は従来の3分類を元に両者を区別することで定義されたものである。
また、本来丁寧語の一部である美化語は「敬語」からは外されることが多い。
中学校では3分類で敬語の学習をしているほか、常体・敬体についても学習している。”

果たしてこんなにたくさんの分類や使い分けが必要なのか私には分からないが、敬語を使う際の一番のベースになるものは「相手との関係性」、すなわち「力関係」だ。

日本では、目上の人に対し敬語を使わないというそれだけで「意味」が生じる。
また、相手との関係性が変化していく中で、言葉遣いも変化していく。

私は決して、「敬語なんてくだらない」と言いたいわけでも、「敬語をきちんと使うべきだ」と言いたいわけでもない。

ただ、その場に適した言葉遣いが出来るようにしておかないと、恥をかくことがある、ということだ。

たまに、親しい友人と接するような感じで初対面の人と話したり、仕事上のやりとりをしている人を見かけるが、そいういうのはフレンドリーというのとは違う。
一歩間違えば「失礼」であり、「滑稽」だ。

言葉遣いというのは癖のようなもので、普段どういった話し方をしているのか、どのような立場の人と話しているのかといった「言葉の習慣」がとっさの受け答えに出る。

誰に対しても同じような話し方しか出来ない人は、「相手や場面によって話し方や言葉使いを変える必要がある」という意識がそもそも無い。

それは非常に危険なことだと思う。

私は個人的に、「礼儀正しくありたい」ので、言葉の引出しをいくつも持っておきたいと思っている。
それで、場面や相手に合わせて適切な言葉を選べるようになりたい。

使う、使わないは自由だけど、「使えない」というのは回避すべきだというのが私の考え方である。

言葉使いほど、その人の人間性が現れるものはないと思う。

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