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自分が「ていねいになれる何か」に出会うこと

ときどき、自分はいったい何が好きなのか、何が大切なことなのか、分からなくなることがある。
そんな時、いつもある言葉を思い出す。

ていねいになれる何かをつかんでいる人は具体的に努力出来る。
その何かと出会えれば、目標がどんなに遠くても、近づくように少しづつ努力出来る。
自分にとってたいせつなものと、ていねいに対処出来るものが一致していないといけない。

これは村上龍の「心はあなたのもとに」という作品に出てくる一節だ。

この小説を読むまで私は、「自分がていねいになれるものとは何か」と考えたことが無かった。
だけど、自分は何が好きで、何が大切なのかといったことを考える時に、この「ていねいになれるかどうか」というのはとても重要な基準になるのではないかと考えるようになった。

何かに対してていねいに対処するということは、「妥協しない」ということだ。
「簡単に、適当には済ますことの出来ないもの」だ。

自分が自然とていねいな気持ちになれて、妥協せずに取り組めるもの。
それが何なのかに気づければ、自然と自分が得意なことや好きなことも分かってくるのではないだろうか。

思えば、「好きなことは何か」という問いは漠然としている。
私は食べることも、お酒を飲むことも、本を読むことも好きだけど、それはこの問いの答えにはなっていない。
「本当に」知りたいこととはもっと別のことなのだ。

それはつまり、何が自分に一番充実感を与えてくれて、これからもずっと取り組んでいきたいこととは何なのか、ということだ。

だから、「好きなことは何なのか」と問い続けても答えは出ないかもしれない。
そして答えが出ないことに対して混乱し、絶望し、自分を肯定できなくなってしまう。

だから私は、好きなことを探すというよりも、自分がていねいに取り組めるものをは何かということをより意識して考えるようになった。

村上龍がこの小説の中で書いたように、ていねいになれる何かをつかんでいる人は具体的に努力出来る。

重要なのは、その「何か」に出来るだけ早い段階で気づくことだ。

自分がていねいになれる何かを見つけること。

それが結果的に、自分の人生にとって大切な「何か」に成り得るのだ。

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コメント

  1. […] 「自分が「ていねいになれる何か」に出会うこと」という記事も書いたけど、その「ていねいになれる何か」というものをきちんと文章で表現したい。 […]