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健全な肉体に宿る不健全な魂

去年の10月にランニングを始めて、3月でちょうど半年になる。
始めた頃に比べると、走る距離も回数も徐々に増えている。

最近は暖かくなってきたからなおさら走りやすい。
でも、冬の間は走りに出るまでに勇気を振り絞らなければならないことが度々あった。

びゅうびゅう風が吹いている中、走りに出ようなんて思うのはどこか頭のおかしい人達なのかもしれない。

だけど、凍えそうに寒い真冬の夜道を黙々と走っていると、本当に少しづつだけど身体が温まってくる。
その温かみが体中に広がるにつれて、自分の中に自信のようなものが芽生えてくる。

「自分は今、正しいことをしている」という肯定感のようなものだ。

その感覚が積み上がっていくにつれ、私はある欲求を強く抱くことになった。

それは、「自分の肉体を出来る限り清潔に、健全に保ちたい」ということ。

この先どんなことをやるにしても(善なることであれ悪なることであれ)、肉体が健全でなければ何も成し遂げられないと考えるようになった。

作家の村上春樹も、『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』というインタビュー集の中でこう語っている。(この本は本当におすすめです)

ごく単純に、贅肉つくと小説家は駄目だな、と思いましたね。実感として。

身体の動きと頭の動きって直結してるんですよね。
若いときは上半身だけを使ってものを書けるけど、ある時点から足腰が大事になります。
上半身だけではうまく書けなくなってくるんです。
そして足腰を強くしておくためには、贅肉はつけられない。

この記事のタイトル『健全な肉体に宿る不健全な魂』も、このインタビュー集の中で使われたものを引用した。

自分なりにこの言葉を解釈すると、「何かぶっ飛んだことをやりたいなら、肉体を健全に保っていなければならない」ということ。

歪みの中をどこまでも進んでいこうと思うのなら、自分の中に恐ろしく真っ直ぐな部分も持っていなければならない、と。

自分の魂の不健全さというか、歪んだところ、暗いところ、狂気を孕んだところ、小説を書くためにはそういうところを見ないと駄目だと思います。
というか、その”たまり”みたいなところまで実際に降りていかないといけない。
でも、そうするためには健康じゃなきゃいけない。
肉体が健康じゃなければ、魂の不健康なところをとことん見届けることができない。
僕の言う健康というのは数値的なものではなく、自分が与えられた肉体を、それがどのようなものであれどこまで前向きに扱えるかというのが主眼になります。
身体が健康になったから魂もクリーンになりました、なんてことはありえない。

肉体を健全に保てば保つほど、自分の中の不健全な部分、村上春樹の言う「歪み」や「暗さ」や「狂気」と対峙できるようになる。

不健全な魂とは、健全な肉体にこそ宿るのである。

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コメント

  1. […] 村上春樹は、昨日の記事で紹介したエッセイで自信の仕事スタイルについて触れていますが、実際の仕事場がどのようなところなのかとか、すごく気になります。 […]

  2. […]  走ることについて、「健全な肉体に宿る不健全な魂」というエントリーに書いたことがある。幸いなことに、今でも私は走り続けている。去年の10月から始めたから、今年(2014年)の10月 […]