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ひとつの作品から、出来るだけたくさんのことを学ぶこと

映画にしても小説にしてもそうですが、同じ作品を見ても人の感じ方や捉え方、抱く感想はそれぞれ異なります。
ある人にとっては素晴らしい作品でも、ある人にとっては退屈極まりないかもしれない。
ある作品が人の心を震わせるように、ある作品は人の心に傷跡を残すかもしれない。

「人は皆違う」という前提に立てば、これらのことは至極当然の結果であり、自然の摂理です。

伊藤 計劃さんというSF作家が、「自腹は神様ではない」という記事で映画について以下のように語っています。

まず、映画は「テーマを観に行くものではない」ということです。

映画とは、そこにただある映像に過ぎません。

そこから何を持って帰るかは、われわれに任されています。
逆に言えば、映画を観て得られるものは、その本人の感性や知性のレベルに見合ったものでしかない、ということです。
ぼくはしょっちゅう、とっても鋭い人や頭のいい人のレビューを観て、なるほど!と思いますが、そういう人のレビューは大体肯定的だったりすることが多いです(そうじゃない場合もありますが)。”

その人が、同じ映画を観たにもかかわらず、自分よりもはるかに多くのものを映画から持ち帰っているからです。
だから、ぼくは見栄っ張りなので、よっぽど自信がある時しか映画をけなさないようにしています。
だって、それって、ぼくがその映画の要求する感性や知性に、いかに見合っていなかったか、「足りなかった」かを、訳知り顔で露呈しているのに気がついていない、恥ずかしいことをやらかしてしまっているだけかもしれないじゃないですか。”

映画というのはわかりきった結論を確認しに行くものではありません。
「テーマがわからなかった」という人は、テーマを必要としなければ映画を見れない馬鹿か、馬鹿すぎてテーマを見つけられなかった人に過ぎません。
現実の世界に「テーマ」などないように、映画はそこに、ある物語にそった映像を映し出しているだけです。
ぼくはそういうとき、恥ずかしいのでただ黙っています。
自分が馬鹿だったことを公言する必要はありません。ただ、そういうことを書いてしまう無自覚な人が、ときどきいるというよりも、たくさんいるのも事実です。
何も自分が馬鹿である可能性をネットにのっけて宣伝して回ることはないだろうに。”

参照:「自腹は神様ではない」

昨日、映画「LIFE」を見に行ったという記事を書きました。
私はこの映画をとても楽しみにしていたので、私のこの映画に対する姿勢は自ずと肯定的なものになります。

もちろん、期待していたがために作品の出来にがっかりしてしまうこともあります。
しかし、始めから何かを批判してやろうという気持ちで見るのと、何かしら楽しみを持って帰ろうという気持ちで見るのとでは、作品を見た後に「実際に」得られるものに大きな隔たりがあります。

「感想」というのは誰かに強制されるものではないので、賞賛しようが批判しようが、100%自由です。

しかし、伊藤さんが書かれているように、「映画を観て得られるものは、その本人の感性や知性のレベルに見合ったものでしかない」のです。

あなたはこの映画を退屈だと言うかもしれない、得るものが何も無いというかもしれない。
でも、そんなあなたの感性が退屈極まりないのかもしれない。

これは何も芸術に限った話ではありません。

目の前の事象に対して、どういう姿勢で取り組むのか。

私は出来ることなら、そこから出来るだけたくさんのものを持ち帰りたいと思っています。
少なくとも、理解しようともせず批判だけするようなことはしないでおこうと。

そういう生き方のほうが楽しいし建設的だと思うのです。

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