スポンサードリンク

テキストの力

写真が伝えることの出来る情報量は、文章のそれに比べ圧倒的に多い。
写真とは言葉よりも強力な伝達ツールである、と言われるくらい、何かを伝えたいときに写真があるのと無いのとでは伝わり方に大きな差が生まれる。

例えば、細長くて灰色で窓がふたつある建物を見上げる一人の男性、という情報を伝える際、写真が1枚あればそれだけで事足りる。
そこには誤解も、疑問も、解釈も必要ない。
ただ目の前にある事実を、事実として読み手は受け取る。

しかし文章はそうはいかない。
細かく描写し、的確な比喩を用い、不足なく表現しなければならない。
そしてそれらを成功させることが出来たとしても、読み手にうまく伝わるかどうかは分からない。
なぜならそこには主観というものが存在し、解釈というものが存在するからだ。

同じ文章を読んだとしても受け取る情報に差が生まれるのは、文章がそもそも不完全な伝達ツールであるからだ。

村上春樹の「ノルウェイの森」という作品にこんな一節がある。

文章という不完全な容器に盛ることができるのは不完全な記憶や不完全な想いでしかないのだ。

だからこそ、書き手はその「不完全さ」を出来るだけ埋めるべく、言葉を慎重に選び、順序を入れ替え、比喩の力を借りる必要がある。

では、写真には無い、テキストだけが持つ力とはどんなものだろう。

私は、読み手の「想像力」を掻き立てることだと思う。
読み手に「妄想」させると言ってもいいかもしれない。

私の友人にこんな男がいる。
彼はホラー映画が好きでよく見ているのだが、彼いわく「ホラーは映画で見るより小説で読むほうが恐い」のだそうだ。

グロテスクなシーンや過激な描写を文章で読むと、その光景を自分の頭で想像(創造)することになり、歯止めがきかなくなってしまうのだと。

同じようなシーンを映像で見てもそうはならない。
良くも悪くも完成された形で目にすることになるので、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

しかし文章はそうではない。
その文章からどんな光景や人物、表情、色、匂いをイメージするのかは、100%読者に委ねられている。
そのイメージをある程度操作するのが書き手の役割であり能力になるのだが、逆にその想像力をどこまでも助長する文章というものもある。

私はそういった文章が好きだ。

読めば読むほど、自分の頭の中にもうひとつの世界が広がっていくみたいに、想像力を掻き立ててくれるもの。
読み手がそこから感じるのは本物の恐怖であり、本物の悲しみである。

テキストの力とはそういったところにあるのだと思う。

読んだ後、そこにどんな世界が広がるのか。
それは書き手が読み手に提供した新しい世界なのだ。

スポンサード リンク
スポンサード リンク

気に入ったらシェア!

スポンサード リンク
スポンサード リンク