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相手の立場になって考えるということ

以前、『優しい人ではなく、優しくあろうとする人が一番優しい』というエントリーで、「自分がされて嫌なことは他人に絶対しない」という、ある種の自己決意のようなものを書いた。

優しい人ではなく、優しくあろうとする人がいちばん優しい
 人とは、他人に厳しく、自分に甘い生き物である。他人のことは客観的に見ることができるが、自分のことを客観視することは難しい。  最近よ...

それと似た感覚で、同じように強く意識していることがある。
それは、相手の立場になって考えるということ。

子供のころ、教師や親からよく言われた。
「相手の立場になって考えなさい」と。

でも不思議なことに、こういった類の忠告というのは、大人になるにつれてないがしろにされ、真剣に取り組もうとすること自体がバカバカしいことのように捉えられる。
「私は相手の立場になって考えています」なんて言おうものなら、何て傲慢で厚かましい奴なんだと批判されかねない。

作家の村上龍が、「無趣味のすすめ」というエッセイの中の『「交渉術」という脳天気な言葉』という章で、こんなことを書いている。

 実際の交渉においてもっとも重要なのは、相手の立場に立って考えるということだ。
不思議なことに日本社会では「相手の立場に立って考える」ことが弱気な態度だと誤解されやすい。
たとえば「次の六カ国協議では北朝鮮の立場に立って考えたい」などと言うと弱腰だと批判されかねない。
だが相手の立場に立ってみないと、つまり相手はどう考えるのだろうと想像力を働かせないと、交渉など出来ない。
文化や価値観が異なる相手との交渉の歴史が浅い社会では、交渉を有利に運ぶためには必要不可欠なことが弱腰だと評されてしまうのだ。
 相手の立場になって考えるのは非常にむずかしい。まず相手に関する情報を集めなければならない。
相手の立場に立って考えることができて、双方の条件を把握すれば、戦略が決まり、より有利な妥協点が浮き上がる。
徹底的に相手の立場に立って考えること、交渉はその地点からしかスタートできない。

村上龍はこのエッセイの中で、「相手の立場に立って考えることが交渉の始まりだ」と書いた。
だがこれは、何も交渉の場に限ったことではない。
私たちの日常的な状況にも当てはまることであり、とても普遍的な姿勢ではないだろうか。

例えば仕事で、あるトピックについて説明を行うとする。
その際、説明を聞く人達がそのトピックについてどれくらいの前提知識を有しているのか、彼らはどういう立場で参加しているのかといったことを把握しておかなければ、どういう説明の仕方がベストなのかが分からない。
全く無知の人達に対して説明するのと、そのトピックについてあらかじめ知識を有している人達に向けて説明するのとでは、進め方や方法が全く変わってくるからだ。

Eメールひとつとってもそうだ。
相手が知りたいことは何で、どういった情報を必要としているのかを把握しておかなければ、どういう文章を書けばいいのか分からない。
相手の知りたがっていること(=相手に関する情報)を集めた上で、自分の文章を相手の立場になって読んでみる。
そこで分かりにくかったり、説明や情報が不足していると感じた場合は、もう一度見直す必要がある。
「自分がこの文章を受け取っても、100%納得は出来ないだろう」というレベルのものを相手に投げても仕方がない。

「相手の立場に立って考える」というのは、「相手を思いやる」ということと似ている。
靴を脱いだ後に向きを揃えるのと同じように、「こうしておけばやりやすいでしょ?」というポイントを探るということだ。
この姿勢というのは、本当に大事なことなのに、出来ている人が驚くほど少ない(自分も含め)。

「相手の立場に立って考える」ということは、傲慢なことでも弱気なことでもなく、他者と関わり合いながら生きていくための、もっとも基本的な姿勢である。

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コメント

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