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人はときに、「何をしたか」ではなく「何をしなかったか」で評価される

人から親切にされたり、励まされたり、何かをプレゼントしてもらったり。
叱られたり、笑わせられたり、褒められたり。
罵倒されたり、けなされたり、傷つけられたり。

自分が他人から「された」ことは記憶に残りやすい。
その行為によって、その人の好意の深さや、人間としての個性や魅力を無意識のうちに計っている。
だから、私たちはその人が「何をしたか」で他人を評価しがちだ。

だけど、最近よく思うのは、その人が「何をしたか」と同じくらい「何をしなかったか」ということが、その人がどのような人間であるかを判断する上で重要だということ。

電車で席を譲らなかった時、あいさつをしなかった時、メールの返事を返さなかった時、お礼の言葉がなかった時…
自分の中で「その人がすべき(であろう)」ことだと認識していることが達成されなかった時、心の中にぽっかりとした空白が発生することになる。

満たされるべき空白がいつまで経っても満たされない。
埋められるべき空虚がいっこうに埋められない。

そういうとき、その人が「したこと」ではなく、「しなかったこと」が強烈に自分の中に刻み込まれる。そしてそれは時に、ずっと先まで尾を引くことになる。

ある種の行為や好意、意志や誠意の不在はその人が積み上げてきたものを一瞬のうちに打ち砕く。

よく、信頼を無くすのは一瞬だと言う。
信頼を得るのには途方も無い時間と労力が必要だけど、苦労して積み上げたその信頼を失うのは本当に一瞬で、あまりにも容易い。

これは、その人が「してきたこと」を、たった1つの「しなかったこと」が凌駕するからである。
一見、とても理不尽なようだけど、残念ながら本当にそうだなと思う。

人とは、その人が「してきたこと」の積み上げであると同時に、その人が「してこなかったこと」の積み上げでもあるのだ。

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