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好奇心を失わずに日々を生きるということ

好きなことを「探しましょう」ではなくて、「自分は何が好きか」を頭の片隅に置いて、好奇心を失わず、日々を生きる。それで、出会ったときに自分の中の受容体みたいなものが反応できるかどうかが問題なんです。
「自分には、ワクワクできる対象がきっとあるはずだ」と心のどこかで思っていないと出会っても気づかない。

これは村上龍の言葉である。
好奇心を持つことがなぜ大切なのかというと、それはその「何か」に出会ったときに自分が反応できるようにするためで、つまり、準備をしておくということ。

「好奇心」という言葉を聞くと、必ず思い出すエピソードがある。
私は、工業高校の建築科に通っていた。
大工ってなんかカッコイイし、何かを作り上げるということに対してその当時から憧れのようなものがあったのだろう。
15歳の、世界を何も知らない少年にとって、「建築」という道を志すにはそれくらいの理由で十分だった。
ところが、私は入学してすぐに建築に対する興味を失ってしまう。
当たり前の話だけれど、建築科に入ったからといって数学や歴史を勉強しなくていいわけではないし、そもそも建築の勉強自体が難しく、面倒で、そして地味だった。
「何か思ってたのと違う」という、持ち前の飽き性を存分に発揮し、早々に建築という分野には見切りをつけ、私は「自分はこの先どうやって生きていくのか」ということをぼんやりと考え始めた。

学校にいるのが苦痛で、よく早退した。
どこか行く場所があったわけではなく、「ただそこに居たくなかった」のだ。
おかげで進級も卒業もぎりぎりだったけど、「海外に出たい」という思いを持つようになったのはこのときの経験がきっかけである。

 前置きが長くなってしまったが、必ず思い出すエピソードというのはこの高校時代に出会ったひとりの友人の話である。
彼は当時、短ランを着て、単車を乗り回し、留年した挙句に結局高校を辞めてしまった。
だが私たちは今でも交友があり、数ヶ月に1度は集まってお酒を飲んでいる。
彼は今も建築の世界で生きていて、大工として経験を積み、最近ついに自分の会社を興したと、先日会ったときに聞いた。

高校時代の彼は「やんちゃ」という言葉がとてもピッタリくるような少年だったけど、お互いが社会人になって会うようになってから、「俺、遊びまくってたけど早退はしたことないぞ」と聞かされた。

「嘘だ」と私は即座に言ったが、その理由を聞いて私は納得した。

彼はこう言った。
だって、途中で帰ってしまったら、その後にめちゃくちゃ面白いことが起こっても見れないじゃないか。
次の日、自分の知らない「面白いこと」について皆が話すのに、それを俺だけ知らないなんて耐えられない。だから絶対に最後まで学校にいた

何とも彼らしい考え方で、私は改めて彼に好感を持った。
そして、「好奇心」という言葉を聞く度に彼のこの言葉を思い出すようになった。

好奇心を失わずに日々を生きるということは、「この先きっと面白くて楽しいことがあるはずだ」という思いを持ち続け、そのために行動することである。

ここではないどこかへ行けばその何かがあるわけではなく、「何かあるはずだ」という思いがその何かを浮かび上がらせるのだと思う。

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