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人生はトレードオフ

 意識的にせよ無意識的にせよ、人は日々選択を繰り返している。
そのほとんどは、今日は何を着ていこうとか、お昼は何にしようとか、バスでどこの席に座ろうとか、とるに足らないようなものばかりだが、時には自分の人生を変えてしまうような大きな決断を迫られるときもある。

 何かを選ぶということは、その他の可能性を放棄するということである。
デニムを履いていくのならばチノパンを履くことはできないし、ラーメンを選ぶのであればカレーは諦めなければならない。窓際の席を確保するのなら出口に近い席は他人に譲ることになる。
 その選択によって自分が得られるものと失うものとを天秤にかけ、どちらのほうが自分にとってより重要か、より好ましい結果をもたらすかという比較の結果、私たちは何かを選びとる。
 このように、一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないという状態・関係のことを「トレードオフ」と呼ぶが、人生とはまさにトレードオフそのものだ。

 今の自分の状態というものは、今までの選択の積み重ねであることは疑いようのない事実だけれど、ふと、こんなふうに考えることがある。
 自分は今まで、いったい何を犠牲にしてきて、その結果何を得たのだろうと。大切のなものを手放し、その代わりに何を手にしたのだろう。自分が欲していた(そう信じていた)ものを得るために、いったいどれほどの可能性を放棄したのだろう。

 人は同時にふたつの人生を生きることは出来ないし、ある地点に戻ってやり直すことも出来ない。
「いまここにある」人生と、「そうであったかも知れない」人生、この2つの比較には何の意味もない。だけど、「あのとき違う選択をしていればどうなっていただろう」と、どうしても考えてしまうときもある。

 もし今の自分が、ある時点での自分の選択に少なからず悔いを感じているのであれば、それはその選択によって失われるであろう別の可能性の重要さに気付いていなかったか、その可能性を放棄する覚悟ができていなかったか、そのどちらかだ。そして先にも述べたが、悔いているからといってやり直せるわけではない。
 もしできることがあるとすれば、それはひたすら現実を受け入れることと、自分の中の最優先事項を再確認することだ。

 選択はときに痛みを伴い、断絶を要求する。
 何かを選ぶ、という感覚を持っている人は多いかもしれないが、同時に何かを「捨てている」という感覚を持っている人は少ないのではないだろうか。しかし、選択とは同時に放棄である、という理解なしに「後悔のない選択」なんてできやしない。
 むしろ、「何を選ぶのか」よりも「何を捨てるのか」ということのほうが重要な気さえする。

 元オリンピック選手のハードルランナー、為末大さんがこんなことを言っていた。
昨日と同じ人生を送り続けるということは、昨日とは違う人生の可能性を放棄し続けることである

 人は生きている限り、何かを選び続けて、何かを捨て続けなければならない。

何かを選ぶということは、何かを捨てるということ。
誰かを愛するということは、誰かを愛さないということ。

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