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男はカッコつけなくなったら終わりだ

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 「カッコよくなりたい」というのは、男なら誰しも持ち合わせている欲求ではないだろうか。

 若い頃は「カッコよくなりたい」とはすなわち「女の子にモテたい」ことと同義だったが、年齢を重ねるにつれ、カッコよさを求めることよりも優先されることが多くなってくる。
 例えば、カッコよさよりも、希望する仕事に就きお金を稼ぐことのほうが優先されるし、家族を養い、子ども育てあげることのほうが優先されるだろう。むしろ、カッコよさを求めることが逆にかっこ悪い、というような風潮さえ感じられる。確かに、上辺だけのカッコよさばかりを求めて、中身の伴わない人は「かっこ悪い」のかもしれない。

 しかし、それでも私は声を大にして言いたい。男はカッコつけてなんぼだ、と。

 カッコよさの定義というのは人それぞれだし、年齢によっても変わってくるだろう。若い頃はファッションや車など、表面的なものがほとんどだが、仕事を得て、経済的にも自立しだすと、仕事ができることや、没頭できる趣味を持っていることがカッコよく見えたりもする。異性からカッコいいと思われるよりも、同姓からカッコいいと思われる方が嬉しいと感じる人も多いかもしれない。

 だが、カッコよさの定義が変わろうとも、「カッコよくありたい」という欲求は不変のもので、いわば本能のようなものだと思う。だから、私が一番かっこ悪いと思うのは、「カッコよくなくたって別にいいんだ、他に大事なことがあるんだ」と開き直ってしまうことである。「カッコよくありたい」という姿勢を放棄してしまうことである。

 私は清春というミュージシャンが好きで、学生のころからよく聴いていた。彼が昔、ある音楽雑誌で語っていたことを今でもよく覚えていて、それはこのエントリで伝えたいことをとてもよく表していた。それはこんな内容だった。
 当時の音楽シーンは、バンドは見た目ではなく中身だ、と主張するバンドが人気を博していて、メガネをかけた小太りの中年男性が歌う曲がヒットしていたりした(彼らは今どうしてるんだろう)。
 ミュージシャンは、音楽で何を伝えるかが大切で、髪型がどうとか、衣装がどうとか、照明がどうとか、そんなことはどうだっていいんだと。

 それに対して清春はこう話していた。
 「ミュージシャンにとって、音楽が素晴らしいのは当たり前。その上で、色気とか、雰囲気とか、あったほうがいいに決まってる。僕が許せないのは、彼らが、そういった「カッコよくあろう」という姿勢を最初から除外して考えていることだ。ミュージシャンの風上にも置けない(とまで書いていたかは定かでない)」

 ミュージシャンにとってのファンのように、カッコよく思われたい対象も人それぞれで、自分の環境や状況によって変わるだろう。それは同級生かもしれないし、恋人かもしれない。友人かもしれないし、親かもしれない。嫁さんかもしれないし、自分の子どもかもしれないし、はたまた自分自身かもしれない。

 カッコいいことの定義も、そう思われたい対象も、万人に共通する指針のようなものがない以上、それは個々が自分なりに追求して達成していくものなのだと思うけど、「追求する」という姿勢だけは放棄してはいけない。
 それは料理人が「俺の料理はまずくてもいいんだ」とか、画家が「ヘタクソでもいいんだ」と言うようなものだ。

 女性が「いつまでも美しくありたい」と願うことと同じように、男も「いつまでもカッコよくありたい」と思い続けなければならない。

 いささか極論めいたものを書いたけれど、つまるところ私の言いたいことは、「男なんてカッコつけでいいじゃないか」ということ。

 死ぬまで精一杯カッコつけよう。

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