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生まれることと死ぬこと以外、大したことじゃない

 私事だが、先日祖母が他界した。満86歳だった。日本人女性の平均寿命は87歳だそうなので、早過ぎる死ではないし、まさに平均的な長さの人生を生きたことになる。
 お年寄りに多い怪我のひとつに「転倒による骨折」があるが、祖母もその例に漏れず、7年前に自転車で転んで足の付け根を骨折した。私がオーストラリアから帰ってきた時にはすでに入院していて、その頃から認知症も進んでいった。もう自力で歩けるようになることは望めず、車いすでの生活が始まった。私は祖母を見舞いに行くと、車いすを押して病院の周りを散歩した。

 歩けなくなってから、祖母が1日のほとんどを過ごすのはベッドの上になった。身体を動かせないし、中のよい友達がいるわけでもないので、祖母の認知症は一気に進行した。私の顔を見ても名前を思い出せず、誰か知らない名前を呼ぶようになった。
 私は、祖母が弱っていくことよりも、私のことを誰だか分かってもらえないことが一番つらかった。

 祖母は、何か特定の病にかかっていて、継続的な治療を必要としているわけではないので、いつかは病院を出ていかなければならない。ベッドの数は限られており、空きを待つ患者は多い。祖母は介護施設や他の病院を点々とし、一時は自宅での介護も試みたが、祖父と私たち孫家族は同居しておらず、祖父が1人で祖母の面倒をみるのは現実的に不可能だった。
 
 そんな生活が7年ほど続き、最終的にはある介護施設にその身を落ち着けることができた。
 私が祖母を見舞う頻度は年を追うごとに減り、今年に入ってからは片手で数えられるほどしか見舞いに行けなかった。いや、「行けなかった」という表現は正しくない。「行けなかった」のではなく「行かなかった」のだ。行こうと思えばすぐにでも行ける距離にいるのに、私は祖母に会いに行こうとしなかった。
「最近元気がないし、全然喋らなくなった。ご飯もあまり食べていないみたい」と母親から聞かされていたにも関わらず、私は祖母のことを「見て見ぬふり」をし続けた。

 そして5月の終わり、祖母が肺炎にかかり、危険な状態にあると施設から連絡が入った。
祖父の意向は、「もう治療はしない。終わるのならば、ここで看取る」というものだった。なので、病院へ転送して治療してもらうという選択はせず、私たちは苦しむ祖母をただただ見守り、声をかけ続けるということしかできなかった。それからは毎日見舞いに行った。仕事を出来るだけ早く終わらせ、家族で代わりばんこに祖母に会いに行った。
 食事をすることが出来なくなったので、唯一の栄養源は点滴のみとなった。目を開けている時間も日に日に短くなり、まるで生命力をできるだけ温存しようとするかのように祖母は眠り続けた。
 やがて、点滴の針も指すことが出来なくなった。全く何も摂取できない状態となり、あとは衰弱していくのみとなった。

 「人生で必ず後悔するたったひとつのこと」という記事を書いたのは、まさにこの時期である。この記事の中で私は、村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」という作品の一節を引用した。

「僕の言っていることは、大抵の人間にはまず理解されないだろうと思う。
普通の大方の人は僕とはまた違った考えかたをしていると思うから。でも僕は自分の考え方がいちばん正しいと思ってる。具体的に噛み砕いて言うとこういうことになる。人というものはあっけなく死んでしまうものだ。
人の生命というのは君が考えているよりずっと脆いものなんだ。だから人は悔いの残らないように人と接するべきなんだ。公平に、できることなら誠実に。」

 実はこの文章には続きがあって、それは以下のようなものだ。

「そういう努力をしないで、人が死んで簡単に泣いて後悔したりするような人間を僕は好まない。個人的に」

また、前後するが前述の台詞の前には、こんな一節がある。

「後悔するくらいなら君ははじめからきちんと公平に彼に接しておくべきだったんだ。少なくとも公平になろうという努力くらいはするべきだったんだ。でも君はそうしなかった。だから君には後悔する資格はない。全然ない」

 祖母が亡くなるまでの間、私の頭の中にはずっとこの「君には後悔する資格はない」という台詞が木霊していた。「お前はいったいどれほどのことを祖母に対してしてあげたんだ」と。

 だから私は記事の中でも書いたとおり、「必ず後悔するけれど、その後悔の幅を出来るだけ小さくするためにやれることはすべてやろう」と決めたのだ。

 その甲斐もあってのことか、私は祖母の死に目に会うことが出来た。ほとんど目を開くことのなかった祖母が、死ぬ間際はしっかりと目を見開いていた。まるで、最後の光景を焼き付けるように。
 棺に入った祖母は本当に安らかな顔をしていて、私は、「ああ、これで祖母はもう苦しまなくてもいいんだ」という思いを持った。それと同時に、「もう関与しなくてもいいんだ」という、残酷な安堵感が自分の中に広がっていくことが悲しかった。そしてその安堵感を感じながら、これが人の死に触れることなのだと、そんなことを考えた。

 変わって、今月末は姉の出産予定日である。家族が1人減り、家族が1人増える。
私にとって初めての甥っ子で、祖父にとっては初の曾孫になる。姉は福岡に住んでいるので、なかなか会いに行くことは出来ないが、8月に予定している福岡旅行の際に顔を見てこようと思っている。

 私たちは、「生まれること」と「死ぬこと」の間を「生きて」いる。
祖母の死に立ち会い、姉の出産を控える今思うことは、生まれることと死ぬことに比べれば、生きることなんて大したことないんじゃないか、ということ。
 生きるということを軽視ししているという意味ではない。生と死が持つ、抗うことの出来ないとてつもなく大きな力を目の当たりにして、「何でもできるし、何でもやればいいじゃないか」という、ポジティブな肯定感のようなものを感じたのだ。

 人は皆いつか死ぬのだという身も蓋もない真実に触れたことで、今日を大切に生きよう、改めてそう思ことができた。

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