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書き残すことと読み返すことの効用

 ときどき、自分が書いた過去の記事を読み返すことがある。書いたばかりの記事は、推敲の意味も含め何度も読み返すのだが、その後はあまり読み返したりしない。完成した記事はすでに自分の手を離れてしまったものであり、私の興味は「次に何を書くか」ということへシフトするからだ。
 それでも折にふれて、本棚から長年読んでいなかったお気に入りの小説を引っ張り出すみたいに、自分が書いた記事をランダムに読み返してみる。すると意外に、思ってもみなかった発見や、何とも言えない照れくささや、ごくまれに感心したりすることがある。「そういえばこんなこと書いてたな〜」という懐かしさや、「何て青いこと言ってるんだ」という恥ずかしさ、「おお、結構いいこと言ってるな」という驚きに、時間差で遭遇することになる。
 
 きっと、読まれるために思ってもいないことやたいして興味のないこと、行ったことのない場所や使ったことのないモノについて文章を書く人もいるのだろうけど、このブログで私が書いていることはすべて、私が本当に考えて感じたことであり、言わば、私の思考の歴史であり、その過程である。
 こういったことを文章という形にして残しておくことには、ちゃんとそれなりに意味や価値がある。それは、自分の好きなときに、自分の記憶を「明文化された形」で振り返ることができるということである。

 人の記憶ほど曖昧なものはない。その時には強烈に脳裏に刻み込まれるような出来事や決断だったとしても、どういう思考のプロセスを経て、どういった感情のやり取りをこなし、どんな言葉を以って乗り越えたのか、そんな細かなところまで人は覚えていないだろう。
 あるのは「人生における重大なイベントだった」という事実だけで、それを補足する2次情報が決定的に不足している。
 だから、その時自分がどのように考え、どんな悩みを抱え、どんな決意を以ってどんな決断を行ったのかということを、きちんと読める形の文章にして残しておくことは、とても大切なことだと思う。ただ足跡を残すのではなく、靴底の模様までしっかりと刻みつけるのだ。
 
 今、自分の考えていることが真摯で真剣であればあるほど、この文章を読み返すであろう(読み返してね)将来の自分は、きっとそこから何かを感じ取るはずだ。それは前述したような、「そうだった。自分はこういうふうに考えていたんだった」というものかも知れないし、「何を言ってんだこの小坊主は」というものかも知れない。
 その、自分がどう感じるかというのが、すなわち自分が「どう変化したか」ということであり、「どこが変化していないか」ということでもある。
 
 自分の文章を後から読み返すことは、私にとっては恥ずかしいことなのだけれど、たとえ短期間でも人の感情や考えってこんなに変わるんだ、と気づけることは純粋に楽しいし、驚きがある。
 
 それだけでも、「書き残すこと」と「読み返すこと」には十分価値があるのではないかと思う。

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コメント

  1. […]  先日書いたこちらの記事、「書き残すことと読み返すことの効用」。もともと書きたかったことは別のことだったのですが、書き進めるうちに少し違う話になってしまいました。でも […]