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オーストラリアのピザ屋で「あいさつくらいしろ!」と怒られた話

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 私がオーストラリアに1年ほど滞在していたのは、今から8年ほど前のことである。ほとんどはメルボルンという街で過ごしたが、最後の1、2ヶ月は地方に移動し、農業のようなことをして生活費を稼いでいた。

オーストラリアの片田舎での超朝型生活
 最近、朝起きる時間を30分早くした。  もともと朝は苦手な方ではないし、出勤前にバタバタするのが嫌なので、それまでも十分すぎるく...

 メルボルンという街は非常に過ごしやすく、適度に都会で、洗練されていて、どこか芸術味のあふれる素敵な街だった。私はこの街がとても気に入って、なかなか他の都市に移りたいという気が起きなかった。「せっかく海外に来てるんだから」と、いろんなところを、それこそ週単位で移動している人達もいたが、私はメルボルンという街に文字通り「腰を据えて」日々を送っていた。

 オーストラリアは移民の国である。特にメルボルンのような都市部ではいっそうその傾向が顕著で、中国人や韓国人、台湾人、インド人、ギリシャ人、ブラジル人、カナダ人、フランス人など、実に多様な人種が暮らしていた。私にとって海外に住むということ自体が初めてだったが、同時に、あれほどたくさんの人種に囲まれて生活するのも初めてだった。

 例えば、これがオーストラリア人しかいない国だったら、もう少しシンプルだ。そこには日本とオーストラリア、日本人とオーストラリア人の違いがあるだけで、その違いを理解し、適応するだけでいい。しかし、これが前述したように多種多様な人種で構成されている国の場合、そこにはありとあらゆる種類の「自国、自国民との違い」が混在することになる。

 マイノリティとしてではなく、多様性の一部として自己のアイデンティティを確立すること。メルボルンで生活してみて痛感したことは、自分が今までいかに限られた価値観と情報の中でしか生きてこなかったか、考えてこなかったかということだった。
 「人は他者と出会うことでのみ自己を確認することができる」というニュアンスのことを村上龍が書いていたが、私はそのようなバラエティ豊かな他者に囲まれて、それまでとは違った視点で「自分」を確認することが出来たのだ。

 そんなメルボルンで過ごした日々の中でも、特に印象に残っている出来事がある。
 私は当時、ニューポートという少し郊外の街に住んでいた。シティと呼ばれる中心街から電車で30分ほどの距離にあり、これといって特筆すべき特徴もない街だった。でも私はそれなりに気に入って、オーストラリア人のオーナーと一緒に一軒家に住んでいた(このオーナーがなかなかエキセントリックな人だったのだが、それはまた別の機会に書くことにする)。

 ニューポート駅の近くに、釜で焼いた本格的なピザが食べられるお店があった。店員は恐らく全員がオーストラリア人だったが、マッチョでいかつい兄ちゃんやおじさんばかりで、初めて入るときはとても緊張したのを覚えている。
 そこのピザがまた絶品で、私はよく焼きたてのピザを1枚抱えて歩いて帰った。ハムの上にパイナップルが乗った”ハワイアン”という種類のものが私のお気に入りで、いつもそればかり頼んでいた。

 そのお店は、水曜日だか木曜日だかに「半額デー」というイベントをやっていた。お金のなかった私は、毎週その曜日に必ずピザを買いに行くようになり、それがささやかな楽しみになっていた。

 ある日、いつものようにお店に入り注文をしようとすると、レジの兄ちゃんが怒った顔でこうまくし立てた。

「お前よお、無言で入ってきていきなり注文してんじゃねーよ!。『うっす』とか、『調子どう』とか、なんかあるだろーが。失礼なんだよ!」

 相手の言っていることが100%理解出来たわけではないが、とにかく怒っている、ということは理解できた。どうやら、私がいつも愛想もなく注文だけして帰ることに腹を立てているようなのだ。

 そして私は、とっさにこう答えた(他になんて言えるだろう?)。

「す、すみません」

 その後、私は無事にピザを受け取り(焼いてもらえてよかった)帰路についた。後にも先にも、お金を払いに行って怒られたのはあのときだけだ。

 帰り道で、自分のことながら可笑しくなってしまった。だって、日本で店員が客に向かって「あいさつくらいしろよ!」と叱りつけることなんてあり得ない。なんたって日本では「お客様は神様」なのだから。最初はびっくりして早くその場から立ち去ってしまいたかったが、今思い出すととても貴重な体験をしたなと思う。

 これを「文化の違い」という言葉で片付けてしまうのは、何だかつまらない。どちらのほうが良いかという問題では無いけれど、日本における「接客する側とされる側」の関係って異常なのかも、という感覚をこのとき初めて持つことができた。いったいいつから日本では「お客」がこんなに偉くなってしまったのかは分からないが、自分もどこかでそれが当たり前だと感じていた。だからこそ、海外での客に対する粗野な扱いに腹を立てたりするのだ。

 そんな私に怒りの鉄槌を下したピザ屋の兄ちゃんに、私はちょっとだけ感謝したい。「お前なんて偉くもなんともないんだぞ」と、当たり前のことを思い出させてくれたからだ。

 日本で、お店とお客が揉めたみたいなニュースを見ると、私は必ずこのときのことを思い出す。

 もちろん私は、その後もそのピザ屋に通い続けた。入ったときのあいさつを忘れずに。

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※写真が残っていなかったので別のピザ屋のハワイアンを。

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