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日常と非日常の狭間

 今、ドーハ国際空港にてミュンヘン行きのフライトを待っている。現地時間の深夜3:00過ぎに到着し、約5時間のウェイティングだ。関西空港からドーハまでのフライトは、団体客が多くほぼ満席だった。一度でいいからがらがらの飛行機に乗ってみたいのだけど、いつを狙えばそれが可能になるのかは見当もつかない。(今回密かにそれを期待していた)
 一昨年のカンボジアも、去年のベトナムも朝のフライトだったから、今回のように深夜に日本を飛び立つというのはなんだか変な感じがした。こっそりと、どこかから抜け出すような感覚がして、正直あまりわくわくしなかった。
 
 現在、朝5:00前。壁一面が窓ガラスになったカフェから、だんだんと夜が明けていき、白々と朝を迎えようとする外の様子を眺めている。思えば、空港で朝を迎えるというのも初めてだ。今回の旅は、自分にとって移動の距離も時間もおそらく一番長い。これからまたミュンヘンまで数時間のフライトが待っているのに、もう随分遠くに来てしまった気がする。
 
 ところで、昨日読んだこの記事がとてもよかった。
 
参照:旅とリモートワーク

旅は現実的なものの中でもっとも非現実な体験だと思う。街を新たに訪れるたびに新鮮な風が身体を通り抜けて生まれ変わったような気分になる。宇宙に包みこまれるようで、とても言葉なんかに閉じ込めることはできない。

 「旅は現実的なものの中でもっとも非現実な体験」というのは言い得て妙というか、上手い表現だなと思う。確かに旅というのは、今や特権階級やヒッピーだけのものではなく、誰にでも出来ることだ。LCCの普及により、海外旅行でさえその限りでは無くなった。しかし、そこから得られるものや、体験できることというのは、時に非現実的で、エキセントリックで、代替不可である。
 
 その非現実さを手に入れるために、自分は旅に出るのだろうかと考える。それはある意味で正しいのだけど、正確には「その非現実さからしか得ることのできない、自信とプライドのようなもの」を得るためだ。
 例えば自分が全てを失い、身一つになったとしても、自分からは決して消し去ることのできない非物質的な何かだ。自分の頭の中にあって、いつだってどこにいたって取り出すことのできる、そんなポータブルで永続的なもの。そんなものをどんどん自分の中に蓄積していきたい。
 
 だから、今私が妙な居心地の悪さを感じるのは、「現実と非現実の狭間」というか、「日常と非日常のあいだ」のようなところにいるからだろうと思う。もと居た場所はすでに去ってしまったけど、目的地にはまだ到達していない、そんな中途半端さがなんだか私をやきもきさせる。
 世の中には「行った人」と「行かなかった人」がいるだけだと、高城剛が先週のメルマガに書いていた。
 
 早く「行った人」になってしまいたい。

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コメント

  1. […] ツ、ミュンヘン旅行で、絶対に買おうと行く前から決めていたものがあります。   関連記事: ・「日常と非日常の狭間」 ・「何かを待っているだけの人には、結局何もやってこない」 […]