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読みやすい文章を書くための条件。内田樹著「街場の文体論」

 ずっと読みたかった内田樹さんの「街場の文体論」を読んだ。
 京都で友人と待ち合わせている時に、本屋を3件ハシゴしてようやく見つけることができた。内田さんはこの「街場の〜」シリーズを何作も発表されているが、私はこの「街場の文体論」が初めて読む作品である。そして、本書の内容が素晴らしく良かったので紹介したい。

 「街場の文体論」というタイトルだけみれば、いったい何について書かれた本なのか、いまいち掴みづらい。「文体論」と書かれているからには、何か「文章」にまつわる話なのだろう、それくらいの印象しか無かった。

 本書は、氏が2010年の10月から2011年の1月まで神戸女学院大学で行った最後の講義、「クリエイティブ・ライティング」の内容が元になっている。「クリエイティブ・ライティング」というのは、響きはとても格好いいのだけれど、いったいどういうものを差すのか分からずにいた。
 そもそも「クリエイティブ・ライティングとは?」といった話に始まり、「文章を書くときの心構え」や「すごい作家は何がすごいのか」といった話や、アナグラム、フランス文学から世界文学、欧米で翻訳される日本人作家と翻訳されない日本人作家の違いといった話まで、非常に幅広く書かれている。なにより、氏の見識の広さと、分かりやすくていねいに書かれた文章、そして「書くこと」に対する敬意のようなのに対して深く感銘を受けた。
 
 今日は、その中で「読みやすい文章を書くための条件」について書かれた箇所を紹介したい。

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自分のなかにいろいろなタイプの読者像を持っていること

 ブログに文章を書くということは、そのブログを読んでくれる読者に向けて書くということである。だから、「どれだけ読者のことを想定し、意識した文章を書くか」ということが、非常に大きな課題となる。

読者というのは他人ですから、ほんとうのところは何を考えているか分からない。どういう価値観を持っているかも、どういう美意識なのかも。宇宙観も死生観もわからない。
でも、読者を想定しないと、書くことは出来ません。

その読者はテーマによって、文体によって、もちろん媒体によって変わります。でも、どんな場合でも、書いているその瞬間には「この言葉を読んでいる具体的な読者」の像が自分のなかにはある。

自分のなかにいろいろなタイプの読者像を持っていること。それが「読みやすい文章」を書くというときの1つの条件じゃないかと思うんです。
だって、少女が読者だと思うと、「少女に通じる言葉づかい」をするわけでしょう。お爺さんが相手だったら、「ある年齢以上の人なら当然これくらいのことは知っているわな」という歴史的事実を論じたり、人名を挙げたり、あまり使わない語彙を動員したりすることができる。
僕はこの読者像の多様性ということが、文章を書く上でものすごく大切なことじゃないかと思うんです。

 まずは、自分の中で書こうとする文章の読者像を想定し、彼ら彼女らに通じる言葉と方法で文章を書く。その上で、どれだけその読者像に多様性を持たせることが出来るのかがとても大切なことだ、と書かれている。
 私は自分の文章を読んで、「この文章はいったい、誰に向けて何を伝えたい文章なのだろう」と自分で首をかしげることがよくある。これは、読者のことを想定できていない、「言葉を向けるべき相手を特定できていない」ということだ。
 だから、「具体的かつ多様な読者像の設定」が読みやすい文章を書くための条件であるということにはとても納得できた。

他人に届く言葉とは、自分に届く言葉

 読者像を設定し、その人たちに向けた文章を書く。しかしこれは、「他人だけに届く言葉」であってはならない。

自分のなかにあるさまざまな人格要素が互いに否定し合わず、まるで交響楽のように語っている言葉は、分かりやすい。僕のなかには、16歳の高校生から、60歳になった今の自分までが、みんな共存している。
自分が生きてきたすべての時間の記憶が僕のなかには堆積しているんです。どれもまだ現役で生きている。昨日の記憶より、小学生のときの記憶のほうが鮮やかだということなんかいくらでもあります。

だから、誰か16歳の少年と話していると、僕のなかの16歳が反応する。あ、そういう苛立つ感じって、わかるよな、と思う。30歳の人と話していると、僕のなかの30歳が出てくる。ああ、あの年頃のときはすごく先のことが心配だった。人生このままでだんだん年をとって終わるのかって、不安だった。そういう感じがリアルに思い出される。
そういうふうに、いろいろな人と話していると、僕のなかの誰かがうなずくわけですよ。
<-中略->その中の誰か、目の前にいる人と比較的話が通じるのがいるわけです。「そういうことって、あるよね」とうなずくことのできる人間が僕のなかにある。

だから、変な言い方ですけれど、「他者に伝わる言葉」というのは、実は「自分のなかにいる他者」に伝わる言葉のことじゃないかと思うんです。自分のなかにいる16歳にもわかる言葉なら、たぶん目の前にいる16歳の少年にもわかる。16歳にいきなり60歳の悟りすましたような話をぶつけてもはね返されてしまう。だから、ワンクッションいれる。
60歳の僕がまず16歳の僕に向かって、自分自身が聞いても、「まあ、そうだよね」とうなずくことができるような話をする。自分が書いた文章を読んでいて、自分自身が「まあ、そうだよね。そういうことって、あるよね」とうなずける文章というのが、実は人に届く文章なんだと思います。

 自分でまず、「うん、そうだよな。そう思うよな。」と納得できることが大切だ、というのは、とても共感できる。自分のためだけに書かれた文章でもいけないけれど、他人のためだけに書かれた文章でもいけないのだと思う。自分自身を納得させた上で、それをいかにして想定読者へ伝えるか、ということが大切なんだろうけど、これはとても難しい。

 でも、難しいからこそやりがいがあり、充足感があり、達成感がある。
「具体的かつ多様性のある読者像を持つ」ことと「自分自信で納得できる文章を書く」こと。これから自分が文章を書く上での指針としていきたい。

 内田樹著「街場の文体論」、おすすめです。
 
関連記事:「相手の立場になって考えるということ

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コメント

  1. […]  参照:「読みやすい文章を書くための条件。内田樹著「街場の文体論」」 […]