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ドイツでの接客と、自己主張することの必要性

 前回、前々回と、ミュンヘンでの買い物や飲んだビールについて書いた。今日は少し趣向を変えて、私がミュンヘン滞在中に感じたことを書いておきたい。
 
参照:
・「【ミュンヘン滞在記】RIMOWAが格安で買えるという噂のお店に行ってきた。
・「【ミュンヘン滞在記】ミュンヘンで飲んだビールの写真をひたすらあげていく
 
 上記エントリーを読んで頂ければ分かる通り、滞在中はひたすらビールを飲みまくっていた。ホテルのラウンジで飲むこともあったけれど、大体は街に出てどこかパブやレストランに入り、メニューから適当に選んで出てきたものを飲んでいた。(余談だが、ドイツではレストランやパブがビール醸造所を兼ねているところが多かった。日本では酒税等の関係でそれが出来ないらしい。)

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その国ごとの、お店と客の関係性

 ドイツに限らず、その国にはその国なりの接客スタイルというか、お店と客の関係性というものが存在する。特に、日本のような過保護とも呼べる過剰なサービスを受けられる国から行くと、やはり戸惑ったり驚いたり、時には不快な目にあうことも少なくない。

参照:「オーストラリアのピザ屋で「あいさつくらいしろ!」と怒られた話

 行くお店のレベルにもよるのだろうけど、基本的に席に案内されることなんて無かったし、席に着いたからといってすぐにウエイターが水を持ってきたりすることも無かった。「まあ、ここは日本じゃないんだし、気長に待つか」という感じで待っていたのだけど、だんだんと、あることが気になり始めた。
 それは、同じタイミングで入った欧米人の客や、後から入ってきた欧米人の客にはすぐに対応するのに、アジア人である私のところにはなかなか人が来ない、ということだった。たまたまそのお店だけがそうなのであれば気にしなかったのだが、それが何件か続いたために、これは偶然じゃないのだと気付いた。

 「Excuse me!」と大きな声で呼ばないと来てもらえず、呼んでも「ちょっと待って、後ですぐに行くから」と言われて待たされる。そしてやっと来たかと思うと何事も無かったかのように素通りしていく。料理が運ばれてきて、いざ食べようと思うとフォークとスプーンが無い。そしてまた先ほどのやりとりを繰り返す、なんていう非効率極まりないこともあった。
 何度も店員を呼び止め、要求を伝えなければならなかった。ただ待っていたら、きっと何時間でもそのまま待たされていただろう。

自らの存在を主張しなければ認めてもらえない

 私はこの記事で、「ドイツの接客よりも、日本の接客のほうが上だ」という、サービスの質についての主張をしたいわけではない。
 私が言いたいことは、「日本以外の国では、主張し続けなければその存在すら認めてもらえないことがある」ということである。

 日本は本当に便利で快適な国だけど、受け身というか、「相手が自分の意を汲んでやってくれるだろう、分かってくれるだろう」という期待と甘えで成り立っている部分が大きいように思う。それがあまりに当たり前になってしまったために、「自分の存在を主張すること」が、傲慢で厚かましい態度の様に取られてしまう。

 しかし、海外では、主張せずに待ちぼうけして、自らの利益や機会をみすみす見逃すことほどバカバカしいことはないと考えられることのほうが多い。
 海外でプレーするサッカー選手などでも、自分の存在と意思を発信し続けなければ相手にしてもらえない。アメリカでは、授業で発言しない人は意欲のない人とみなされ、容赦なくマイナス評価の対象となるそうだ。

 私が体験したのは所詮、飲食店でのあるワンシーンでしかないけれど、今まで(そしておそらくこれからも)生活していた環境がいかに特異で、悪く言えば「ぬるま湯」だったのかということを改めて思い知った。
 日本のような国で生活するということは、自らの存在を主張することの必要性や意思を奪い取ってしまうリスクがある。そのようなある種の危機感を持てたことは、良かったことだと思っている。

 決して、ドイツが差別的だとか、サービスの質が悪いということではなく、受け手である私の意識の問題だ。この記事の内容とは少し異なるけれど、以下の記事も非常に興味深く読んだ。

参照:「態度の悪い客が日本の素晴らしいサービス業の最大の敵

 今まで自分がいた場所や環境を客観的に見ることが出来る。これが、定期的に海外へ出ることのメリットのひとつだと思う。自分にとっての「当たり前」を違った視点で見ることができるのは、それが「当たり前」では無いところまで行ったときである。

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