スポンサードリンク

思い出話ばかりする人と、これからの話をする人

 最近、色々な人に相談ばかりしていて、ふと気付いたことがあります。

 「あ、今の自分、昔の話しかしてねえ」

 そのことに気づいたときの衝撃といえばもう、凄まじいものがありました。
 思い出話ばかりする人と、これからの話をする人。自分ならどちらと人生の時間を共にしたいかなんて、考えなくても分かる。「あの頃は…」とか「こんなことがあったね」とか話す自分は、全く相手の未来にコミット出来ていない。それどころか、自分の未来にすらコミット出来ていない。

 どうして自分はこんなに過去の話ばかりするのだろうと考えた。考えるまでもなくそれは、「現実を見たくない」「未来のことを考えたくない」からだった。現実を直視するのが恐いから、過去に浸り、自分の見たいものだけを集めてきて、目の前に広げて、考えたくないことを考えないようにと必死だった。

 「昔は良かった」「あの頃は楽しかった」「素晴らしい日々だった」と、過去に浸ること自体が悪いことではない。誰にだって、大切な思い出やそれに浸りたい瞬間はあるだろう。

 でも、大切なのは、自分はもう「あの頃」を生きてはいないということ。自分が生きているのは「今」であって、「あの頃」ではないということ。
 もし出来ることがあるとすれば、その「素晴らしかった過去」から出来るだけたくさんのことを学び(学ぼうとする姿勢を持ち)、これからの人生をより良きものにしようと行動することだけである。

幸福な状態というはっきりしたものもない。結婚すれば幸せに違いないと思っても、人はそれに慣れる。
人は幸せを未来に託し続けて、過去の選択を悔やみ続けて、今を生きている事を忘れる。
幸福は今にしかない。そしてそれは今の姿勢が作る。

 これは元オリンピック走者の為末大さんの言葉だ。
 「幸福は今にしかない。そしてそれは今の姿勢が作る。」本当にその通りだと思う。

 いつだって、目の前の現実や状況を前向きに捉え、「じゃあ、これからどうするのか」ということを語れる人になりたい。

 イケダハヤトさんが先日書かれていた記事。

参照:「ブログとは自己洗脳である:自分は記述した通りの人間になっていく」_まだ東京で消耗してるの?

「はじめに言葉ありき」とはよく言ったもので、ぼくらは語る言葉によって、自分を語られたように作り替えることができます。

 この記事も、「こうありたいな」という願望を記述したに過ぎないけれど、はっきりと、意思を持って何かを言葉にすること、文章にすることはとても大切だと思う。

 過去を語るのではなく、未来を語れる人になりたい。

スポンサード リンク
スポンサード リンク

気に入ったらシェア!

スポンサード リンク
スポンサード リンク