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ランニングを一年続けて変わったこと

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 今月でランニングを始めてちょうど1年が経った。今までも走ることについては何度か書いたことがあるけれど、1年という節目を迎えたので改めて統括してみたい。

『健全な肉体に宿る不健全な魂』
http://yskb2.com/2014/03/18/1278

『走ることについて書かれた文章と、走ることから得られるもの』
http://yskb2.com/2014/09/07/2321

 日々のランニングは、iPhoneアプリの「Nike + Runnning」で距離とタイムを管理している。今、最初の記録を確認したら3.56kmしか走っておらず、25分も掛かっていた。距離も短いし、時間も掛かりすぎている。けれども、当時はこれでもものすごくしんどくて、ぜーぜー言っていたのを覚えている。

 最近は平日でも7kmくらい、休日は10kmづつ走るようにしている。距離は伸び、タイムは縮まった。というのも、来月に地元のシティマラソン(といっても10kmだけど)に参加することにしたので、特に意識して走り込みを行っているのだ。

 この1年で走った距離のトータルは、1,343kmだった。月に平均すると約112km、1日に平均すると3.5kmで、思っていたより少ない。走り始めた頃と変わらない距離を毎日走っていることになる。もちろんタイムは伸びているのだけど、2年目はもっと距離を稼ぎたい。

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※左がランニングを始めた当初の記録。右は1年の総計。

 今日はタイトルのとおり、「走り続けることによって何が変わったのか?」ということについて書いてみようと思う。最初に断っておくと、私はランニングを「健康」や「体型維持」のために始めたわけでは無い。なので、そういう目的でランニングを始めようと思っている人にとってはあまり参考にならない内容かも知れないが、「走ることが人に与えうる影響」の一例として読んで頂ければと思う。

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ランニングを始めた理由

 自分はなぜランニングを始めたのか、正直言ってあまり覚えていない。当時抱えていた仕事のプロジェクトが一段落し、時間に余裕ができたのでなんとなく始めた、という感じだ。

 『仕事以外の時間を何に使うかによって人生が変わってくる』というエントリーに書いたのだけど、自分には仕事以外に熱意を持って取り組める興味の対象が無いんだと気付いた時の絶望というか、ショックがものすごかった。その反動で、何か身体を動かしてできることを始めようと思ったのがきっかけだったと思う。
 高城剛も、「頭で解決できないことは、身体で解決する」と言っていて、これは確かに真理をついている。

 とにかく私は、「仕事以外に熱意を持って取り組めるもの」と「身体を動かすこと」にはどんなものがあるかを考え、なんとなく「走ること」を選んだ。

走ることによって変わったこと

肉体の変化

 先に述べたとおり、私は「肉体の改善」を目的に走り始めたわけではない。だから、というのもおかしい言い方だけど、体重は特に変わっていない。もともと痩せているというのもあるけれど、走り始めたから体重に変化があったかというと、特に無い。もしかしたら「痩せるための走り方」みたいなのもあるのかも知れないけど、ただ体重を落としたいだけなら、まずは食事制限だと個人的には思っている。

 ただ最近になって、足の筋肉はついたなと感じるようになった。走るために必要な筋肉が、必要な箇所についてきた。それはあくまで自分の身体が自発的に、言わば必要に迫られて強化した部分であり、そのこと自体には特に感慨も感動もない。例えば腹筋が6つに割れるとか、そういった分かりやすいものでもない。

精神の変化

 私がランニングを始めていちばん実感しているのは、この「精神的な変化」である。引用になってしまうが、このエントリーで言いたいことは、村上春樹の以下の一文にすべて集約されている。

 自分の競争相手は自分だけで、他人はまったく関わってこないのですが、自分の内部では戦いがあります。前回よりもうまく走れているかどうかということです。
 繰り返し繰り返し自分の限界に挑戦すること、それが走ることの本質です。走ることは時として苦痛ですが、苦痛をくぐり抜けることによって得られる喜びがあります。_出典:夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

 『走ることについて書かれた文章と、走ることから得られるもの』というエントリーの内容と少し重複してしまうが、「何かを試みて、それを達成しようとする力」というのが、私が走ることから得ているいちばん大きなものだと思う。もちろん、これは目に見えるものではないし、本人にしか感じることのできない類のものだ。

 例えばこういうことだ。
 走り始めた当初、3.5kmを走り切るというのが私にとっての限界であり、現実だった。しかし、それを何度も何度も繰り返していると、「もう少し行けるかも」という新たな欲求と好奇心と、自負のようなものが生まれてくる。そうして、今度は走る距離を4kmに伸ばしてみる。「なんだ、大したことないな。」と思う。
 もう少しすると今度は、「5km行ってみるか」と思うようになる。そして今度は5kmに挑戦し、苦戦しながらもなんとか走り切る。これの繰り返しだ。

 毎日毎日同じことを繰り返す、その反復性を厳密に守りながらも、どこかの時点でそのレベルを上げようと試みる。これは「日々の当たり前」のレベルを少しづつ上げていくということで、言うなれば「自分自身のアップデート」である。

 私にとって、初めて10km走ったときは自分が変化したことをはっきりと実感できた。それまで、「10kmなんて絶対無理だ。5kmでもしんどいのに、その倍なんて」と思っていたのだから、当然といえば当然である。

 この、「ムリ。絶対ムリ」から「う〜ん、頑張ったらやれなくもないかも」へと変化し、「あれ?行けるかも」を経て「何だ、やったらできるじゃないか」へ到達する。このプロセスが、走ることを通じて体験している精神的変化なのだ。
 つまり、「一見無理そうなことにも取り敢えず挑戦してみて、最後には達成してしまう」という自分の姿勢や心持ち、考え方が鍛えられるということがいちばん大きい。これって、人生において何かを成し遂げたいとか、そもそも生きていく上でとても大切なことのように思う。

 一旦走り出したら走り切るしかない。文字通り、「走りながら考える力」が身についたと思う。走ることが人にもたらす効果や恩恵はいろいろとあるのだろうけど、私が実際に走ることから得ているのはこのようなものである(もちろん、身体的な効果もどこかでは得ているのだろう)。

 これから走りだそうとしている人に、少しでも参考になれば幸いだ。

続編:
『ランニング2年目の振り返りと今後の目標』
http://yskb2.com/2015/10/07/5595

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