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「美しさ」ではなく、「正しさ」こそが良い文章の条件

 良い文章を書きたい。プロであれアマチュアであれ、何か文章を書く人間であれば誰しもが抱く欲求だと思う。読む人を感動させたり、何か新しい気付きを与えたり、感情を揺さぶったり、決意を後押ししたり。読み手にとって何かしらの価値がある文章。

 それでは、良い文章の「条件」とはいったい何だろうか。今日紹介する『20歳の自分に受けさせたい文章講義』には、文章を書く上での心構えから具体的なテクニックに至るまで、あらゆるノウハウがこれでもかと詰め込まれていた。こんなにドッグイヤーをつけた本は初めてかもしれない。普段はやらないのに、赤ペンで印までつけた。

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どんな人が書いたのか

 本書の著者は、古賀史健さんという方だ。この名前をどこかで目にした方もいるかもしれない。そう、あのアドラー心理学の大ベストセラー『嫌われる勇気』の著者のひとりである。私はこの『嫌われる勇気』も読んでいて、以下のエントリーで紹介したことがある。

参照:『評判通りのおもしろさ。アドラー心理学「嫌われる勇気」

 もともと、この『20歳の自分に受けさせたい文章講義』もいろんなところで絶賛されていて読んでみたかったのだけど、著者が『嫌われる勇気』を書いた人だと知ってさらに興味が湧いた。本書を読んで、『嫌われる勇気』の人気の秘密は、この人が書く文章のちからによるところも大きいのだろうと納得することができた。

 本書から、特に印象に残った点を紹介したい。

「美しい文章」など、目指すべきではない

 美しい文章とは、書き手が理想とする文章のひとつの形ではないだろうか。しかし古賀さんは、「美しい文章など目指すできではない」と主張する。なぜか。

 古賀さんは、「文章とは美しさの前にまず正しくあるべきだ」と書かれている。美しさが不要だというわけではなく、美しさよりもまず「正しさ」のほうが「優先される」ということ。なぜ、美しさよりも正しさのほうが優先されるかというと、それは「文章とは何かを伝えるためのもの」だからである。

 それは個人的な意見かもしれないし、事務的な伝達事項かもしれない。画期的な発見を披露するためのものかも知れないし、ただ相手を批判するためだけのものかも知れない。内容はなんにせよ、文章は相手に何かを伝えるための手段である。だとすれば、まずは相手に自分の伝えたいことが伝わらなければならない。何も伝わらない文章とは、その存在意義を失ってしまっているのだ。

 ここで言う「伝わる」というのは、相手に自分の主張を認めてもらうことではない。「自分の言わんとしているところ」を、「理解」してもらうという意味である。「あなたの主張にはまったく賛同できないが、あなたの言いたいことはよく分かりました」と言ってもらうことである。(主張に賛同してもらうことに越したことはないけれど)

 どれだけ美麗な表現や豊富な比喩を用いても、「何が言いたいのか、よく分からん」と思われてしまう文章では、残念ながら何も伝えることができないのである。

正しい文章を書くためには

 それでは、その「正しい文章」を書くためには、どのようなことに気をつければよいのだろう。古賀さんは、正しさの条件とは「論理的であること」だと書かれている。つまり、論理の破綻がないこと、支離滅裂ではないこと。

 例えば、一方でAという主張をしながら、別の文章ではBという主張をしている、とか、Cという主張の根拠を述べているように見えて、まったく根拠になっていないとか。一見普通に読めるんだけれど、どうも腑に落ちないという文章は、読み手に妙な居心地の悪さや、不安感を抱かせる。

 そのような文章を書かないために重要なのが、「接続詞」だ。
 支離滅裂な文章になってしまうことの一番大きな原因は、「接続詞」の誤用や、使うべきところで使えていないことにあるそうだ。
 
 例えば、以下の2つの文章をみてみる。

1)今日は雨が降った。だから、傘を持って出かけた。
2)今日は雨が降った。しかし、傘を持って出かけた。

 これは極端な例だけど、2)は明らかな誤りだと分かる。「今日は雨が降った。」も「傘を持って出かけた。」も、どちらもおかしなところはない。しかし、それらの繋げ方によっては、ひとつの文章として機能しなくなる場合がある。
 このように、接続詞ひとつで文章というのはあっという間に支離滅裂なものへと変わってしまう。だからこそ、接続詞を正しく使えているか?論理は破綻していないか?を注意深く観察する必要がある。

 美しさよりも正しさ、という古賀さんの主張をみて、ひとつ思い出した文章があるので引用したい。村上龍の『無趣味のすすめ』というエッセイの、”ビジネスにおける文章”という章に出てくる一節だ。

うまい文章、華麗な文章、品のある文章、そんなものはない。正確で簡潔な文章という理想があるだけだ。

 論理の破綻を注意深く免れた文章だけが、書き手によって「美しさ」という付加価値を与えられるのだと思う。
 
 今日紹介したのはほんの一部ではあるけれど、このエントリーで少しでも興味を持って頂けたら幸いだ。本当に素晴らしい本です。

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