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何かを改善したいのなら、「効果の検証」が必ず必要

 「改善」という言葉は、私のように製造業に勤める人にとっては聞き慣れた言葉である。それはもはや、言葉ではなくひとつの概念として存在していると言ってもいいほどだ。改善という概念。

 調べてみると、この製造業の間で使われる「改善」という言葉は、もともとの日本語の意味とは区別して使用されているようだ。

改善(かいぜん)とは、日本の製造業で生まれた工場の作業者が中心となって行う活動・戦略のことである。日本国外でも通用する言葉であり、本来の意味と区別するためにカイゼン、Kaizenとも表記される。_Wikipedia

 「改善」という言葉を製造業に広く浸透させたのは、ご存知トヨタ自動車である。「トヨタ生産方式」と呼ばれる、同社が生み出した生産活動の運用方式は、製造業に携わる人であれば一度は耳にしたことがあることと思う。「改善 = KAIZEN」という言葉が、そのままの読みで海外で通じるほどまでに、その知名度は高い。

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日常の中にある改善

 このように、改善とは製造業に携わるものにとっては非常に馴染みの深い言葉である。しかし、だからといってそれ以外の人にとっては無縁のものだというわけでもない。

 私たちは、日々何かしらの問題や困難にぶつかる。そして、それらをより良き方向へ変えようとする活動が、改善である。もう少し痩せようとか、煙草を止めようとか、朝早く起きようとか、もっと読まれる文章を書けるようにしようとか。そういった日々の中で試みることは、すべて立派な改善だと思う。

 大辞林もこのように定義している。

改善とはー 物事をよい方に改めること。

 そして、この改善を行う上で、「改善をすることそれ自体」と同じくらい、大切なことがある。

「改善」と「効果の検証」は一対のもの

 改善をすることの目的は先に述べたとおり、「物事をよい方に改めること」である。だとすると、改善を行った結果「物事はよい方に改まったのか」という検証が必要になる。「何を当たり前のことを言ってるんだ」と思う人がいるかも知れない。しかし、この「効果の検証」というのをすっとばして、ひたすら「改善活動」のみに取り組む個人や集団がいる。

 当たり前の話だけど、その改善が意味のあるものなのかどうかは、効果の検証を行って初めて分かるものだ。目指す形やあるべき姿という理想があり、そこに少しでも近づこうとするから改善を行うのであって、「改善それ自体」に価値があるわけではない。

 改善活動だけを行い効果の検証を行わないというのは、ダイエットを始めた人が一度も体重計に乗らないようなものである。タイムを縮めようとするランナーが、タイムの計測を行わないようなものである。毎月の支出を減らそうとする人が、日々の支出の管理を行わないようなものである。

 効果の検証を行わなければ、今行っている改善が本当に正しいのか、自分たちが進んでいる方向は合っているのか、ということを客観的に評価することができない。つまり、「無駄な努力」をえんえんと続けてしまうという事態になりかねない。

 だから、「改善」と「効果の検証」は必ずセットで行う必要がある。改善を始める前と後では、何がどのように変化したのか、または変化しなかったのか。もし変化していなかったとすると、自分のやり方のまずさを疑う必要がある。多くの人が、効果の検証を行わずに改善活動のみに従事してしまうことの原因は、ここにあるように思う。

 つまり、改善を行っていることそれ自体に満足してしまうこと、そして、努力したのに結果が出ていないという事実を知るのが恐い、という2点だ。

 しかし、目的はあくまで「目指す姿に近づき、手に入れること」なのだから、早めに現実を知り、軌道修正を行ったほうがはるかに生産的だし、結果的に早くゴールにたどり着ける。目先の不利益を進んで受け入れ、長期的な利益を手に入れるのだ。

 何かを改善したいのなら、「効果の検証」が必ず必要。自戒の念も込めて。

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