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上野の森美術館「葛飾北斎展」で見た、創作者としての究極の人生

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 先日の東京旅行の際に、上野の森美術館で開催されている「ボストン美術館 浮世絵名品展 北斎」に行ってきました。特に葛飾北斎が好きというわけではなく、東京に住む友人に「何か面白そうな美術館ない?」と聞いたところ、この北斎展がイチオシ!とのことだったので「それならば」と足を運ぶことにしました。

 私の、葛飾北斎に対する前提知識と呼べるようなものはほとんどありません。有名な「富獄三十六景」を描いた人、というくらいのレベルです。ですので、実際に彼の作品を見たところで、技術的、芸術的な観点で楽しむことはできませんでした。しかし私はこの北斎展で、彼の作品よりも、葛飾北斎という人、その人の生き方に興味を持ちました。

 私にとっては彼の作品よりも、彼の人生の方が強烈に印象的だったのです。

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葛飾北斎の生涯

 私はまったく知らなかったのですが、「葛飾北斎」という名前は彼の絵師人生のある時期においてのみ使用されていたそうです。というのも、彼は絵師としてデビューしてから没するまでに、30回以上も画号を変えているそうです。「葛飾北斎」という名前が一般的に有名なのは、その画号を名乗っていた時期に「富獄三十六景」などの有名な作品を残したからだと言われています。しかし、絵師のキャリアとしては葛飾北斎を名乗っていない時期のほうが長かったのです。ちなみに、最後に名乗っていた画号は「画狂老人 卍(がきょうろうじん まんじ)」。

 また、北斎は引っ越し魔としても知られ、生涯で93回も引っ越しを繰り返したそうです。Wikipediaには「一日に3回引っ越したこともあるという」という記述がありますが、さすがにこれはウソだろうと思わなくもありません。

参照:葛飾北斎_Wikipedia

安定というものをとにかく嫌い、常に新しさと変化を求めた北斎。14歳から木彫の仕事に就き、18歳で浮世絵師の道を歩みだし、88歳でその生涯を閉じるまでに残した作品は3万点を超えるそうです。

 画号を頻繁に変えた理由として、「様々なジャンルに挑戦する過程で、真の実力を世に問う為に新人の振りをして画号(名前)を変えた。」と言われています。(その他にも理由は諸説あるようですが)

参照:葛飾北斎の生涯

 美術館では、作品の他に北斎の生涯をまとめたムービーを放映していました。人が多くてあいにく見ることができなかったのですが、その横に貼られていた一枚のポスターに私は釘付けになりました。そのポスターには、北斎の略歴と人物像の説明が書かれていました。その一部は、この北斎展の公式HPでも見ることができるので引用します。

 日本の画家として世界一有名といってもいいほど、誰もが一度は名前を聞いたことがある葛飾北斎は、宝暦10年(1760)年9月23日、江戸本所(現 東京都墨田区)に生まれました。当時の江戸は、町人文化が円熟し、鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽などの絵師による錦絵が黄金時代を迎えていました。
 町民として生まれ育った北斎は、幕府や大名の御用絵師とは一線を画し、90年にわたる長い生涯を一介の画工として生きました。終生質素な暮らしを貫き、酒も飲まず、煙草も吸わず、高級なお茶も飲まず粗食に徹し、身なりにもかまわず破れた服で暮らしていたといわれており、生涯で93回も転居を重ねた引越し魔であったとも伝えられています。
 また、「勝川春朗」としてデビューしてから有名な「北斎」、「為一」等を経て「画狂 老人卍」として没するまで、30以上の画号を使用したことでも知られ、死ぬまで自らの絵の革新のみをひたすらに追い求めた人生でした。

創作者として生きること

 私がなぜ、このような北斎の生き方に興味を持ったのか。それは、彼の生き方があまりにも「創作者」として真っ直ぐで、究極で、ある意味狂気染みているからです。上述のとおり、北斎は有名になってからも贅沢を好まなかったそうです。私は、自分がそうありたいとも、創作者や表現者がそうあるべきだとも思っていません。ただ北斎にとっては「何かを生み出すこと」が何よりの喜びであり、贅沢であったのだということ。

 先日Chikirin(@InsideCHIKIRIN)さんがこんなエントリーを書かれていました。

参照:『創造主の悦び

私は今回、本名での自分がこの 12名に選ばれるより、「ちきりん」が選ばれた方が、よほど嬉しく感じるってことに気がつきました。そして、それがナゼなのか、考えてみました。

判明したその理由は、「私」は私の作品ではないけれど、「ちきりん」は私の作品だからだ、ということです。

本名の「私」は、私の両親の作品であり、生まれ育った環境や、一緒に働いてきた人達や、そこで与えられた様々な機会によって育てられた作品です。つまり、この世界での私は「結果」であって、「創造主」じゃないんです。

でも「ちきりん」は、私が創り出し、育て、運営してきた「私の作品」です。自分の作り上げた作品が、こんなそうそうたるメンバーのひとりとして扱われてる。そのことを、すごく嬉しく感じました。

つまり人は、自分が認められることより、自分の作品が認められることのほうが、嬉しいんです。

 私は北斎の作品が、どれだけ優れた技術で描かれていて、世界からどれくらいの評価を受けていて、具体的にどのようなところが素晴らしいのか、何ら語ることができません。でも、「創作すること」に何よりの喜びを見出し、生涯においてその生き方を貫き通した北斎の生き方には憧れ、畏敬の念を抱きます。

 私が北斎の生き方に憧れるのは、自分も何らかの「創作者」でありたいと思っているからに他なりません。今はこうして文章を書いていますが、対象は何でもいいのです。絵だっていいし、音楽だっていい。ただ、自分も何かを世に生み出し、それが誰かの感動を呼んだり、救いになったりすれば、こんなに素晴らしいことはないと思っています。

 北斎展はそんなふうにして私に、「創造者に憧れる自分」を再認識させてくれたのです。

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