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自分が相手に差し出せるものって何だろう

 他人から何かを学ぼうという姿勢は、とても大切だ。いったいどれくらいの人が、日々の生活の中で「他人から学ぶこと」を実践しているだろう。他人から何かを学ぼうと思ったら、謙虚にならなくてはならない。あいつより俺のほうがすごいんだ、なんて思っている人に偶発的な学びや気付きはやってこない。

 けれども、最近よく思うのは、”自分は”いったい相手にどんなものを差し出せるのだろうということ。自分はこの人から何を得られるだろうか、という利己的な視点ではなく、自分はこの人にどんなバリューを差し出せるのかということだ。Give & Takeで言うところの、Giveの部分だ。

 先日坂爪さんとお会いして、さらにそのことについて考えるようになった。というのも、彼が行く先々で色んな人たちからの好意、親切に恵まれ、決して少なくない人たちからの共感や賛同を得ているのには、きっと理由があるのだろうと思ったからだ。実際、彼自身たくさんの方たちからのGiveを受け取っているに違いない。そのGiveによって今の彼の生活が成り立っていると言っても過言ではないような気がする。しかし、それと同時に彼も何かしらのGiveを周りに与えているのだろう。それは何なのだろうか。

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 『まだ東京で消耗してるの?』というブログでおなじみ、イケダハヤトさん(@IHayato)が以下のエントリーで紹介されていた、坂爪圭吾さん(...

 例えば絵描きやデザイナー、歌手やクリエイターなど、何かしら自分の成果物を生み出せる人であれば分かりやすい。受け取ったものに対して、自分にも差し出すものが、目に見える形で存在する。しかし、人が他人に与えられるものというのは、決して目に見えるものだけではない。坂爪さんのそれは、「生き方」である気がする。行動と態度で「示す」、「証明する」ことが、彼が周りに与えているものではないだろうか。

 村上龍の「テニスボーイの憂鬱」という作品に、とても印象深いセリフが登場する。

もし何か他人に対してできることがあるとすれば、キラキラしている自分を見せてやることだけだ。

 目に見えて、手で触ることの出来る、何か具体的なものでなくてもいい。それが「姿勢」とか「生き方」みたいな曖昧なものであっても、人はそこから何かを「受け取った」と感じることがある。他人に差し出せるものが、「キラキラしている自分を見せること」だっていいのだ。

 すごい人の話をただ有難がって聞くだけではダメだと思った。自分はこの人から何を得ることが出来るだろうかと考えるだけでもダメだ。この人が自分にしてくれたように、自分は相手に何が出来るのだろう。その姿勢がなければ、ただ他人に何かを期待するだけの人生になってしまう。

 自分が相手に差し出せるものとは何か。その何かをつくろう、持とうという意識が、人を前に進めるのだと思う。

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