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どこにでもある場所とどこにもいないわたし

 村上龍の『空港にて』という短編集がある。先日ふと思い立って読み返してみたら、これが思いのほか面白くてすっかり読み入ってしまった。この短編集は、あるひとつの設定に沿って書かれている。それは、海外に出ようとしている人たちを描いているというところだ。

 この短編集に収められた作品は、幻冬舎編集の留学情報誌のために書き始めた。雑誌の性格上、留学のために海外に出て行く人物を主人公にした。わたしは、居酒屋や公園やコンビニなど、日本のどこにでもある場所を舞台にして、時間を凝縮した手法を使って、海外に留学することが唯一の希望であるような人間を書こうと思った。考えてみれば閉塞感の強まるに日本の社会において、海外に出るというのは残された数少ない希望であるのかもしれない。_あとがきより

目次

  • コンビニにて
  • 居酒屋にて
  • 公園にて
  • カラオケルームにて
  • 披露宴会場にて
  • クリスマス
  • 駅前にて
  • 空港にて

 先に紹介したあとがきで村上龍は、「留学のために海外に出て行く人物を主人公にした」と書いているが、実際には主人公というよりも、ストーリーの中のいち登場人物という位置づけのほうがしっくりきた。「自分は海外に行くんだ」という人物が自分語りをするのではなく、「海外に出ようとしている人」が、話の中の重要なパートとして登場する。

 あとがきで、村上龍はこのように続けている。

 近代化を達成したあとの日本社会にはアフリカだろうが南米だろうが情報が溢れていて、それらの土地に旅立つだけではロマンチシズムは得られない。現代の出発は、閉塞して充実感を得られない日本社会からの戦略的な逃避でなければならない。

 それぞれの短編に登場する人物も、海外へ出発しようとする「何らかの理由」を抱えている。ある者はアメリカに映画技術を学びに、ある者はゴッホが見た景色を求めてフランスへ。
 「日本社会からの戦略的な逃避」というものが、具体的にどういったものなのかは私には分からない。だが、それぞれの登場人物は皆一様に「何かからの脱出」を試みているようだった。

 私はこの短編集では、表題にもなっている「空港にて」という編が一番好きだ。この短編では、空港である男性を待つ一人の女性が描かれている。

 彼女は、離婚した後に風俗で働き始め、その店でサイトウという男と出会う。客として現れたサイトウは、主人公である女性「ユイ」に対して、個人的な好意のようなものを寄せる。最初は警戒していたユイも、サイトウの優しさと誠実さに次第に心を開くようになる。だがユイは、なぜ彼が風俗で働く自分に対してこんなにも優しくしてくれるのか、理解できなかった。

 わたしに会うために、ホテル代も含めると一ヶ月に三十万から四十万近いお金を使っていることになる。そんなにお金を使ってだいじょうぶなのかと聞きたかったが、そのことも聞かなかった。相手が意志と好意でやっていることについて、どうしてそんなことをするのかと聞くのは甘えだ。あなたが好きだからやっているんだよ、と言って欲しいからそう聞くのだ。

 実はユイには、誰にも話していない密かな願望があった。それは、地雷で足を失った人たちに、義足を作ってあげたいということだった。昔に見た、アフガニスタンを舞台にした映画で、国連がパラシュートで義足を空から落とすシーンがある。彼女はその映画を見て唐突に、義足で足を失った人たちに、義足を作ってあげれたらどんなにいいだろうという思いを持ったのだ。だが彼女は、自分がそのような思いを持っていることを、誰にも言えなかった。

 二十代の二人が新婚旅行の楽しさをメールでそれぞれの友人に書き送る。それはごく自然なことだ。初老の女が無表情で連れ合いが喫煙コーナーから戻るのを待つのもごく自然だし、孫に焼き殺された老夫婦に対してワイドショーの出演者が同情するのも自然だ。だが三十三歳で子持ちでバツイチで風俗で働く女が、地雷で足を失った人のために義足を作りたいと思うのは異常だ。だから誰にも言えなかった。

 読んだことのある方はきっと同じことを感じるのではないかと思うのだが、この話は2011年に発刊された『心はあなたのもとに』という小説と、ストーリーが酷似している。きっと村上龍は、この「空港にて」という短編をもとに「心はあなたのもとに」を書いたのではないだろうか。それくらい、登場人物の設定や、出てくる固有名詞まで同じだったりする。そして私は、「空港にて」も「心はあなたのもとに」も、ともに大好きな作品だ。

村上龍が書きたかった”希望”

 「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」
 そういう台詞を中学生が言う長編小説を書いてから、希望について考えることが多くなった。社会の絶望や退廃を描くことは、今や非常に簡単だ。ありとあらゆる場所に、絶望と退廃があふれかえっている。強力に近代化が推し進められていた頃は、そのネガティブな側面を描くことが文学の使命だった。~中略~近代化が終焉して久しい時代に、そんな手法とテーマの小説はもう必要ではない。

 この短編集には、それぞれの登場人物固有の希望を書き込みたかった。社会的な希望ではない。他人と共有することの出来ない個別の希望だ。

 上記は共にあとがきからの引用だが、村上龍がこの短編集で書きたかったことは「希望」だと言っていて、それぞれの登場人物は皆、「外部」への接触と脱出を試みている。外部と出会うということは、新しい人と出会うということだ。新しい場所と出会い、新しい情報と考え方に出会うということだ。

 読んでいて、少しだけ勇気が湧いてくる。村上龍の作品の中では特殊な毛色の作品だと思う。一遍辺り20ページほどの、スラっと読める短編集なので、氏の小説は苦手という方にもオススメの作品だ。紹介した二作は、ともにiBooksから電子書籍としても発売されている。

リンク:『村上龍 – iBooks Store で配信中のブック – Apple

※エントリーのタイトルとした「どこにでもある場所とどこにもいないわたし」とは、本短編集の単行本としてのタイトル。文庫化にあたり「空港にて」に改題された。

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