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強烈な偏愛こそが何かを生み出す力となる

 いつからかまったくテレビを見なくなってしまったのだけど、最近また、意識して見始めた。といっても、自分が気になる番組を録画しておいて、休日にまとめて見返すというもの。今のところ見ているのは、村上龍がインタビュアーを務める「カンブリア宮殿」だけだ。 

 11月13日に放映された同番組で、「ユーグレナ」という企業が紹介されていた。「ユーグレナ」とはミドリムシの学名で、その日登場したのはそのミドリムシの学名を社名に持つ企業の経営者だった。

 34歳という若さで同社の社長を務める出雲充さんは、東大から東京三菱銀行へ入行したエリートだ。しかし、就職後1年で退職し、自身で会社を立ち上げた。出雲さんは、大学時代に訪れたバングラディシュで多くの貧困層を目にし、国民の多くが「栄養失調」に陥っている事実を目の当たりにする。貧困国から飢餓を無くしたい。その思いが彼を企業に走らせた。

 「空腹ではないのです。ただ、決定的に栄養が不足している」

 そう話す出雲さんは、そのような人々にどうにかして栄養のある食物を届けられないかと考え始める。そのために、文系から農学部に転籍までして研究を続けるようになった。そんな中で出会ったのが、「ミドリムシ」だ。
 実は、ミドリムシは虫ではなく、藻の一種なのだそうだ。中でも、光合成ができるという「植物」の要素と、自分で動ける「動物」の要素を併せ持った珍しい種類なのだそう。しかも、59種類もの栄養素を持つ。

 出雲さんは、この「ミドリムシ」こそが、貧困国の栄養不足を解決するための「理想の食材」になり得るのではと考えた。それはまさに、「運命の出会い」だったと話す。

 食料として使用するためには、ミドリムシを大量培養しなければならない。しかし、そこには大きな壁が立ちはだかっていた。ミドリムシの大量培養は世界で未だ誰も実現したことがなく、多くの研究者が取り組んでいたが結果が出せずにいたのだ。食物連鎖の最底辺にいるような微生物を大量に培養するということは、不可能とほぼ同義に近かった。

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極端な偏愛こそが、何かを生み出す力となる

 番組で、ミドリムシのことを話す出雲さんを見て感じたのは、「ああ、この人はほんとうにミドリムシのことが好きなんだな」ということ。実際に、「僕ほどミドリムシのことを考えている人間はいない」「ミドリムシの研究をしている人に悪い人は居ないんです」と、本当に楽しそうに話されていた。

 極めつけは、「僕、一度ミドリムシになったことがあるんです」という発言。

 これには村上龍も小池栄子も反応に困っていたが、半分は事実であった。といっても、出雲さん自身がミドリムシになる「夢」を見たというエピソードだった。毎日毎日、来る日も来る日も顕微鏡でミドリムシを覗きこむ生活を送っていた出雲さんは、ある日自分がミドリムシになり、顕微鏡で覗かれるという夢を見たそうだ。その夢があまりにもリアルな体験で、それくらい自分はミドリムシのことを考えているのだと改めて自覚したそうだ。

 出雲さんのミドリムシに対する興味や好奇心、執着とも呼べるものは、「偏愛」だと言える。どうしてだか分からないが、自分はこれが好きで好きでしょうがないんだというもの。

 この「偏愛」については、村上龍が「すべての男は消耗品である」というエッセイでこのように書いている。

 持っている時間のすべて、モチベーションのすべて、技術と知識のすべてを投入しないと、市場で評価されるような製品を開発したりつくり上げることは不可能だ。
 そして、持っている時間のすべて、モチベーションのすべて、技術と知識のすべてを何かに投入するために不可欠なのは、趣味的な「好き」ではなく、ある種の偏愛だとわたしは思う。どうしてこれほど惹かれるのか自分でも分からないし、恐いくらいだけど、それでも好きだというようなものに対してわたしたちは最大のモチベーションを持つことができる。そのくらい好きなものに代替物があるわけがない。

 出雲さんにとってはミドリムシがまさしく「偏愛」の対象であり、ほかに代替物のないものなのだろう。だからこそ、これほどまでに自らの時間とエネルギーと資金を費やすことができるのだ。

 その後出雲さんは、全国の研究者たちを訪ね歩き、知恵を借り、協力を仰ぎ、ついに世界で初めてミドリムシの大量培養に成功する。

 現在では食用に限らず、新たな燃料としての利用を実験的に始めているし、CO2を吸収し環境保全に役立てる試みも行っているそうだ。番組の最後で、出雲さんが話された言葉がとても印象的だった。

 「ミドリムシだって、こんなに一生懸命取り組めば何かの役に立つんです。だから、この世にくだらないものや無駄なものって、何もないんだと思います

 偏愛と呼べるような極端な「好き」は、それだけで何かを生み出したり変化させたりする可能性を秘めている。自分には、それくらい「好き」と対象があるだろうか。

 きっと、その片鱗のようなものは誰しもが持っているのだと思う。何かのきっかけで、それが表面化した人とそうでない人がいるだけで。だから、「好きなこと」というのは探して見つけるものなのではなく、「気付く」ものなのではないだろうか。宝探しのように、自分にないものを探し当てようとするのではなく、もともと自分が持っている「片鱗」に、「気付く」のだ。

 才能やスキルなどではなく、偏愛と呼べるような強烈な「好き」という感情。何かを成し遂げるために必要なことは、ときにそんな基本的なことだったりするのだ。

リンク:『カンブリア宮殿 バックナンバー 2014年11月14日放送

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 最近ブログを書いていて、これって大事なことだよなと強く思うことがある。それは、やっぱり「自分の好きなことを書き、発信すべきだ」ということ。...
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