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「感動」のないものは、残らない

 購読し始めてからまだ1ヶ月も経っていないのだけど、堀江さんのメルマガを解約することにした。

堀江貴文氏の有料メルマガを購読し始めた
 ホリエモンこと、堀江貴文さんの有料メルマガを購読し始めました。 リンク:『堀江貴文のブログでは言えない話』  ブログで...

 購読を開始した月のバックナンバーはすべて配信されるため、11月分の配信にはざっと目を通したのだが、「読み続けたい」という気持ちが起こらなかった、というのが率直な感想であり、解約を決めた理由でもある。

 上記エントリーで私は、『情報に対してお金を払うということは、その情報に対して真剣になるということであり、「自分にとって価値ある情報とは何か」という、価値観を再確認する行為だ』と書いた。

 自分なりに目の前の情報に対して真剣になった結果、自分が「お金を払ってでも」と思えるものには、ひとつの基準があるような気がしてきたので、今日はそのことについて書いてみたい。

リピーターを獲得するために必要なもの

 またこの人の文章を読みたい、この人が発信するコンテンツに触れていたい、と思えるもの。それらに共通していることは、そこに”感動”があるかどうかだと思う。”感動”と言っても、それは「涙腺に訴えかける」といった類のものではない。純粋な驚きやわくわく、「すごい!」や「なるほど」や「分かる!」といった、心の動きと、思考の拡大があるかどうかということだ。平たく言ってしまえば、それが「心に残るもの」、「心を動かすもの」なのかということ。

 私にとって、高城さんのメルマガには”感動”があるけれど、堀江さんのメルマガには無かった、ということになる。こういうのは個々人の好みなので、自分に”合う””合わない”というのもあるかと思うけれど、堀江さんのメルマガは、ボリュームがすごくて、ぎちぎちに情報が詰め込まれている感じがした。それがなんだか、「ただ情報を読み流し」ている「新聞」のような感じがして、私はあまり好きになれなかったのだ。

 ”感動”については、村上龍が『すべての男は消耗品である』というエッセイで、非常に興味深いことを書いていた。それは、氏がインタビュアーをつとめるテレビ番組「カンブリア宮殿」で、「すごい」と関心したというある経営者についてのエピソードだった。

 先日は、生産者とダイレクトに取引して独自の流通システムを持つ飲食業の経営者がゲストだった。その会社の幹部の一人に28歳の若者がいて、彼の「リピーター獲得論」にびっくりした。業界紙のインタビューに答えて、彼が話していたことは、次のようなことだった。

 客にアンケートをとり、食事から店員の対応まで、「不満」「やや不満」「普通」「やや満足」「満足」という風に選んでもらうのだが、リピート率に関して言うと、「不満」から「満足」まで、実はほとんど変わりがないらしい。つまり非常に努力している店と、どうしようもないサービスの店で、「リピート率」に関しては対して差がないということになる。だが、その店が「満足」ではなく、「感動」を与えることができたとき、「リピート率」は飛躍的にあがるのだそうだ。

 「満足」ではなく、「感動」を与えることができたとき、リピート率は飛躍的にあがる。これはコンテンツを制作する側、例えばブログを書いたりする人にとっても、非常に示唆に富んだ内容ではないかと思う。先にも述べたとおり、”感動”とひとくちに言っても、そこには様々なカタチの”感動”が存在する。

 その”感動”の種類がなんであれ、読んでくれる人の心に残るような文章を、コンテンツを作れたらなと切に思う。どれだけ時間をかけようと、どれだけたくさんの人に訴えかけようと、それだけたくさんの人に共有されようと関係ない。最後に残るのは、”感動”をあたえられたかどうか。その一点だと思う。

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