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謙虚でいることは、とても難しい

 先日、会社でこんなことがあった。

 その日、私はいつものように関係部署の担当者にエクセルのデータを送付した。私は輸出業務を担当しており、ある特定の貨物を輸出した際、輸出書類のコピーをその担当者に送ることになっているのだ。その担当者は、送られてきたエクセルデータから、特定の項目に記載されている文字列を確認し、台帳へ記入する。つまり、その人のところへ送られてくるデータには、必ずその「特定の項目に記載されている文字列」が含まれているのだ。

 私がその日送ったデータには、通常のものに比べかなり多くの件数が記載されていた。しかし、ページ上部と下部に大きく分かれてその「文字列」が記載されていたため、かなり下までスクロールさせないと、ページ下部にも記載されているということには気付けない。

 そのデータは、写しで上司にも送付していた。そして、そのデータの内容を確認した上司は私にこう言った。

yskb2君。これだと、一番下までスクロールしないと、この文字列の存在に気が付けないよ」

 そう言って、不要な行を「非表示」にして見せ、こう続けた。

「僕だったら、こういう風にして送るな。これだと、ひと目で確認できるし、分かりやすい」

 その上司は、あくまで「僕だったらこうする」というオブラートに包んだ言い方をした。でも私は、その言い方がとても気になった。上司が言いたかったこととはつまり、「こうした方がいいよ。こうすべきだよ」ということなのだ。だから、わざわざそんなまわりくどい言い方なんてせずに、ハッキリと「こうすべきだよ」と言えばいいのに。そう思ってしまったのだ。

 だけど、よくよく考えてみると、私のその小さな苛立ちはまるで見当外れのものだったと気がついた。

 このブログで何度か紹介したことのある慎泰俊さんが、自身のnoteにこんなことを書かれていた。

 いつも思うんだけど、手厳しいコメントをされて、その批判に対して自分の心がざわついているときは、大抵そのコメントをしている人のほうが正しい。もちろん言われたときはちょっとカッとなるんだけど、ちょっと虚心坦懐になってみると、「ははあ、確かにあの人の言うとおりだ」と思えるようになってくる。そもそも、心がざわついているのは、本当のところは相手の言っていることがその通りだと思っているからだし。

 私も、まさにこの状態に陥っていた。相手(上司)の言っていることが正しい(もしくは一考に値する)と自分でも分かっているのだけど、それを素直に認めたくない。だから、相手の言い方とか普段の振る舞いだとか、直接は関係のない事柄を引っ張りだして、自分を正当化しようとする。

 冷静になって考えれば、正すべきは自分のほうだったと気付く(それまでに暫く時間がかかるのだけれど)。情報の受け手のことを考えれば、どのような状態でデータを渡すべきか、少し想像力を働かせれば分かることなのだ。

 しかも、今回の場合だと、私の上司はあえてオブラートに包み、私に気を使った言い方をしてれた。それなのに、私は「もっとハッキリ言えばいいのに」などと、見当違いも甚だしい。

 慎さんもこのように続けられている。

 ちょっと時間が経つにつれて、ようやく虚心坦懐に「確かにその通りなんだよなあ」と思えるようになる。この時間を短くすること、最終的にはゼロにすることこそが、まさしく克己なんだろうと思う。とっても難しいことだけど、これこそが心の修行なんだろう。

 以前、『必要以上に傷つかないために、「批判」と「中傷」は聞き分けよう』というエントリーを書いたけれど、いくら「批判」と「中傷」の聞き分けができたとしても、その「批判」から謙虚に学ぼうという姿勢がなければ意味がない。

必要以上に傷つかないために、「批判」と「中傷」は聞き分けよう
 以前にこんなツイートをしたことがある。  生きていると、何かしらイヤなことや腹の立つこと、許せないことってありますよね。毎日...

 謙虚さがなければ、今回のようにふてくされて、自分が見当違いの「中傷」をしてしまいかねない。

 謙虚でいることって、本当に難しい。だけど、そこから学べることは、とてつもなく大きいに違いない。

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