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「何を着るか」というのがその人の「人格」をつくる

 昨日は仕事の休みをもらい、名古屋まで買い物に行ってきました。先週もSHELLACのセールを見に行ってきたばかりなのですが、別のお店で気になるアウターを見つけてしまい、どうしても諦めきれなかったので再度見に行くことに。

 最近は、一度見たり着たりしただけで購入することは少なくなり、気に入ったものでも少し時間を置いてから購入するようになりました。「大人になった」とも言えますし、「お金の使い方が変わった」とも言えるかもしれません。ただその分、自分が気になったものであれば何度でも見に行って試着しますし、納得して購入するためのコスト(例えば交通費)であれば、進んで受け入れます。

 さて、その気になったアウターですが、案の定購入することに。ものすごく気に入ったので、そのまま着て帰ったくらいです(私は買ったものをよく着て帰る)。そして、その購入したばかりのアウターを羽織って歩いているときに、ふと、今日の表題のようなことを考えたのです。

 「何を着るか」ということは、その人の行動に影響を与える、と。

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着るものがその人に与える影響

 私が購入したアウターは、少しフォーマルな感じのミドル丈のコートです。初めて購入するタイプの服で、自分としては少し背伸びをした感じもあります。そして、その服を来て帰り道を歩いていると、自然と背筋が伸びる感じがしたんですね。少し背伸びをして買った洋服を着ているという意識が、自分の行動や仕草に影響を与えるということを身をもって体感しました。

 なぜ、そのようなことが起こるのか。

 それは、人は着ているものに自分を合わせようとするからではないかと思います。つまり、人は自分の身だしなみに合わせた行動や仕草をとるようになるということ。

 男性で言うと、例えばスーツなんかが分かりやすいかもしれません。仕事で日常的に着ている人も、そうでない人も、スーツというのはやはり「普通の服」とは異なります。ある人にとっては仕事着ですし、ある人にとっては勝負服かもしれません。いずれにせよ、それを着た瞬間に「普段とは違う自分」という意識が少なからず生まれるように思います。その結果、行動や仕草にも「普段とは違う」部分が現れてくる。

最初は「服に着せられている」くらいで丁度いい

 「服に着せられている」というのは、身の丈に合わない(釣り合わない)服を着ている人や状態を揶揄して使う表現ですが、私は最初はそれくらいで丁度いいと思っています。先ほど述べたとおり、自分には少々不釣り合いな服を着るほうが、「自分をもっと高めよう」という意識を強く持てるからです。頑張ってこの服が似合うような人間になろうと、そう思えることはとても大切なことだと思います。

 そうして、見た目だけでなく自分の行動や仕草を改める努力を重ねるうちに、最初は不釣り合いだった服もその人に「馴染んで」いくようになる。その結果、服装と人格の乖離が徐々になくなっていき、きちんと釣り合った状態になる。極端な言い方ですが、素晴らしい洋服には、人を変える力が備わっているのだと思います。

 村上龍の短編集で、「美しい時間」という作品があります。とても好きな作品なので、また別の機会に詳しく紹介したいなと思っているのですが、この作品の中に以下のような一節があります。

 誰もそんなところまで見ないと思うわよ、と妻に言われたことがあるが、別に私は誰かに見てもらいたいわけではない。ジャケットやセーターやコートを着るとその袖口に隠れてしまってカフリンクは見えなくなってしまう。ステッキのグリップとカフリンク、それに手袋と靴を合わせていると気付いてくれる人はまずいないだろう。誰かに見せるためではなく自身のためにわたしは毎朝長い時間をかけてカフリンクを選ぶのだ。そういったフェティッシュな洗練を図ることで、老いによる精神の弛緩を免れることができる。大昔に読んだゲリラの教程に、身体と衣服を清潔に保つことによって神経を研ぎ澄ますと書いてあったが、それに似ている。

 クロムハーツのアンダーウェアを買ったりするのも似たような感覚ではあるのですが、要は人から見えない部分にも気を配ることで、精神を研ぎ澄ますということ。

クロムハーツの新しいアンダーウェア
 クロムハーツのアンダーウェアを新調しました。  発売当初に比べると、デザインやカラーのバリエーションも増えており、最近では直...

 だから、私が一番怖いなというか、なりたくないなと思うのは、着るものに対して無頓着になってしまうこと。もちろん、生きていく上で自分にとっての優先順位というのは変わってくるので、いつまでも「今と変わらず」というのは無理かもしれません。ただ、「洗練を図ることで、老いによる精神の弛緩を免れる」ための努力は惜しまず続けていたいなと強く思います。

洗練されていることへの飢えを持ち続ける

 着るものが人に与える影響というのは、もちろん悪い意味での影響もあります。例えば、毎日ジャージやスウェットで過ごしていると、なんだか普段の生活までだらしなくなってしまいそうな気がしませんか?

 サッカー選手のカズは、近所のコンビニに出掛けるときでさえスーツに着替えたという逸話を聞いたことがあります。それが本当かどうかはさておき、それくらいシビアに自分の服装や身だしなみにこだわっていたいと私は思います。

 常に洗練されていたいし、洗練されていることに対する飢えを持ち続けていたい。それは「ファッション」という括りの話ではなく、「生き方」の問題だから。

自分にとって「ファッション」とは何か
Photo Credit  おしゃれをすることが大好きだ。  自分が実際におしゃれかどうかはさておき、洋服を選んだり、ファッショ...
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