スポンサードリンク

5km走るときよりも10km走るときの方が1kmあたりのタイムが良くなるのはなぜか

 私が習慣化できている数少ないものごとの内のひとつに、ランニングがある。走り始めてからだいたい1年5ヶ月が経過したが、天気が悪かったり予定が入っていない限りは、できるだけ毎日走るようにしている。

 平日は5km〜7km、週末は10kmの距離を走るようにしているのだけど、それぞれのタイムを見比べてひとつ興味深い事実に気が付いた。それは、1kmあたりのタイムが、5km〜7km走ったときよりも10km走ったときのほうがよくなるということだ。普通に考えれば、長距離を走るほうがだんだんとペースが落ちていくので、1kmあたりのペースも必然的に遅くなる。5km〜7km程度の距離だと、ペースが落ちる前に走りきってしまえるので、1kmあたりのペースにもさほど変化はない。

 それなのに、10km走るときのほうが結果的に1kmあたりのペースもよくなるのは何故だろうかと考えた。
 そして、それはきっと目標の立て方、つまりは「どこをゴールに設定するのか」ということの違いではないだろうかという結論に至った。

 10km走るときは、当然ながら「今日は10km走るぞ」と決めて走り始める。逆に5kmしか走らないときは、「今日は5kmにしておこう」と決めて走り始める。
 自分では意識しているつもりはないけれど、きっとこの「目標の難易度」によって、人は無意識に自分の能力をセーブしたり引き出したりしているのではないだろうか。

 10kmという距離は私にとって、らくらく走れる距離ではない。そこそこ頑張らないと走り切れないし、途中で足が痛くなったり苦しくなったりもする。きっとそのことを私の頭と身体は理解していて、それに応じた準備と心意気で望むのだろう。「今日はどうも10km走るつもりらしいから、自分たちもそのつもりで挑もう」というふうに。

 逆に5kmというのは、今の自分にとっては少し物足りない距離である。それくらい走った頃にちょうど身体が温まってくるので、5kmでやめてしまうとなんだか不完全燃焼のようになってしまう。身体のどこにも負荷がかかっていないように感じる。

 そのこともきっと私の頭と身体は理解していて、「今日は5kmしか走らないっぽいから、片手間でいいか」と、緊張感を解いてしまう。

 あくまでこれは私の想像の域を出ないのだが、どの程度の難易度の目標を掲げるかというのは、人の能力を引き出したりモチベーションを維持したりする上でとても重要なことなのではないかと思う。

 村上龍が「すべての男は消耗品である」というエッセイの中で、「努力」についてこんなことを書いていた。

 努力というのは、本来その内部にある矛盾を抱えている。「最終的にはなんとかなるはずだが現状ではまったく不可能だ」というような矛盾だ。

 目標は、高すぎたり難しすぎたりすると達成できずに挫折したり、自己嫌悪に陥ったりする。かといって、簡単すぎても張り合いがない。

 このへんのバランスというか、塩梅が難しいところなのだけど、村上龍の言う「最終的にはなんとかなるはずだが現状ではまったく不可能だ」というレベルの目標設定がベストなのではないかと個人的には思う。達成のためにそれなりの努力と労力が必要で、かつ非現実的な内容ではないもの。

 少し前に、「人生を充実させるためには達成感が必要だ」という内容のことを書いた。

参照:『充実した人生を送るために必要なもの

 できれば、充実した人生を送りたいと思っている。長生きできなくても、ビジネスで大成できなくても、後世に名を残すような偉業が成し遂げられなくて...

 今日の話もそれにリンクしていて、低すぎる目標をいくら達成したところで、得られる達成感というのはたかが知れている。もちろん、そういった小さな成功体験を重ねることも大切なことだけれど。

 自分はどこを見据えているのか、どこをゴールに設定しているのかということが、発揮できる能力やモチベーションの質に影響を与える。

 目標を持つことそれ自体も大切だけど、どれくらいのレベルの目標を設定するのかということも、同じくらい大切なのだと思う。

スポンサード リンク
スポンサード リンク

気に入ったらシェア!

スポンサード リンク
スポンサード リンク