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モノを持たずに快適な生活を送ることは可能か

 先日のエントリーで、モノを「減らす」方法ではなく、モノを「増やす」方法について書いた。

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 それは、限りなくゼロに近い状態から始め、必要になったものを、必要になったときに所有するというもの。私はちょうど先週引越しを終えたばかりで、実際にこの方法に則り、できるだけ「モノを持たない生活」に挑戦している。引越しからちょうど1週間が経過し、自分なりに感じたことや考えたことをまとめてみようと思う。

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快適さや利便さを追求していくと、おのずとモノの量は増えていく

 まず、新しい生活を始めるにあたり、私が事前に準備したものは以下のとおり。

  • 冷蔵庫
  • 洗濯機
  • 電子レンジ
  • 炊飯器
  • 掃除機
  • ベッド
  • 布団
  • デスク
  • PCチェア
  • 衣類

 即今これがないと困るだろうなというものはひと通り用意した。もちろん「私にとって」はというものなので、これよりもっと少なくて済む人もいれば、これでは生活が成り立たないという人もいるだろう。
 で、実際にこの状態で生活を始めてみたのだけど、実際は色んなものが足りておらず、毎日何かを買い足すという日々が続いた。

 例えば、洗濯機はあるが物干し竿がない。洗濯物を干すハンガーもない。なんなら洗剤もない。「洗濯」という作業には洗濯機さえあればいいというわけではなく、それに付随してさまざまなものが必要になる。それらをひと通り揃えてようやく「不便ではない」というレベルで作業が行えるようになるのだ。

 もっと細かな例で言うと、例えば「ハサミ」。我が家には今、ハサミがひとつしかない。デスク横のペン立てに刺さっているものひとつだけだ。だが、ハサミはさまざまな場面で必要になる。特にキッチン。食料品の封を開けるときなどに使うので、キッチンにもひとつハサミがあったほうが便利だ。

 他にも、例えばゴミ箱。実は、未だゴミ箱はひとつもない。実家に住んでいたときも部屋にゴミ箱は置いていなかったので、ゴミを捨てるときはゴミ箱のある場所まで行って捨てていた。でも、ゴミが発生しうる場所にそれぞれゴミ箱が設置してあったほうが、明らかに便利だし、合理的である。

 このように、より快適に、より便利に暮らそうとすると、モノはおのずと増えていく。あそこにもあったほうがいいなとか、これもあったほうがいいよなとか、どんどん欲が出てきてしまう。

モノを持たないということは快適さや利便さを手放すこと

 まだ日は浅いものの、私が今の生活を始めてひとつ学んだことは、モノを所有しない生活と、快適で利便な生活というのは、両立し得ないトレードオフの関係にあるということだ。

 なんの役にも立っていないガラクタを手放す分には問題はないが、もっと突っ込んで「所有しない」生活を送ろうと思うと、ある程度の快適さや利便さは諦めなければならない。

 先に述べたハサミの例で言うと、私は「あったほうが便利」という理由だけで安易にモノを増やしたくないので、未だ購入には至っていない。でもそのおかげで、キッチンでハサミが必要になったときはわざわざ取りに行かなければならない。これは明らかにムダな動きだし、あまり合理的な行動だとは言えないだろう。

 「ミニマリズム」や「所有しない生活」をテーマに書かれているブログなんかを読んでいると、ベッドも布団も所有せず、寝袋で生活しているという方もいる。「所有しない」という意味においては正解なのだろうけど、果たしてそれが快適なのかと言われると私には分からない。

 「モノを減らせばもっと自由になれる」とか「シンプルに生きられる」などと巷の書籍などでは謳われているが、そこには「その代わりにあなたはある程度の快適さや利便さを失うことになります」という警告が足りていないのではないかと感じる。なんというか、表現としてアンフェアな気がする。

 モノが少ないということは圧倒的に不便である、というのが私がここ数日で学んだことだ。

所有するモノを限りなく減らしつつ、快適で利便な生活を送るためには

 では、モノを所有せず、快適な生活を送ることは不可能なのだろうか。
 それは、その人の価値観や求めるライフスタイルによって変わってくるのだと思う。例えば先の寝袋の話にしても、「毎日寝袋で寝るなんて冗談じゃない」と考える人もいるだろうし、ベッドで温かい布団にくるまって眠る生活よりも、寝袋だけしか「所有しない」生活のほうが優先される人もいるだろう。

 快適さや利便さと、所有したくないという欲求を天秤にかけ、どちらが自分にとってよりウェイトを占めるかという話なのだ。

 そんなことを考えていて私は、以前に書いたエントリーで紹介した、石川直樹さんの言葉を思い出した。

必需品は「何もない」こと。ありあわせのものだけで生きていく、究極のミニマリズム
 「あなたの必需品は何ですか?」  こう聞かれたら、あなたは何を自分の「必需品」として挙げるだろうか?  携帯電話、パソコン、車、家...

「すべての道具や装備を、知恵に置き換えて生きていく」

 石川さんのこの言葉にこそ、「より少ないモノで、可能な限り快適で利便な生活」を送るためのヒントが隠されているのではないかと思う。

 つまり、所有しないことで、それによって失う利便さを諦めるのではなく、知恵を使い、何かで代替せよということ。「所有したくないから」という理由で手放すのではなく、複数のものを何か一つのもので代用できないか、代用できるように工夫できないか考えようということだ。

 何か既成の利便さに頼るのではなく、自らの知恵や工夫によって快適さや利便さを構築していくこと。そんなふうに、「理にかなった生活」というのを作り上げていきたいなと考えるようになった。

 できるだけモノを所有しないというのは、これからも自分のテーマではあり続けるけれど、それと同時に快適さや利便さも追い求めたい。

 機能的で、合理的な、理にかなった生活。そんな生活を目指したい。

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