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「解の無い時代」をどう生き抜くか

 村上龍いわく、私たちは今、「一般的な解がない時代」を生きているそうだ。
 先日発売されたエッセイ、「すべての男は消耗品である」シリーズの最新作「ラストワルツ」に、このように書かれている。

わたしたちは、一般的な解がない時代を生きている。「サバイバルするための指南書」のようなものがあればいいのだが、若者の場合、たとえば親の経済状況だけで大きく事情が違ってきたりするので、そんな書物は現れようがない。そして最大の問題は、「一般的な解がない」時代を、これまで誰も経験していないということだ。(ラストワルツ)

 これは、言い換えれば、今までは「一般的な解」があったということになる。
 例えばそれは、大学を卒業すればどこかの企業に入り、一定の年齢になると結婚し、子どもをつくり、家を建て…といった、生き方の話を思い浮かべるとわかりやすい。「一般的な解」というのは、最大公約数的に「それがよい」と定義されているものだ。

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今までの常識が通用しなくなる時代

 私は個人的に、「今までこうだったんだから、これからもこうしよう」という紋切り型の考え方が好きではない。今までがどうであれ、今、この時点で最良だとされることは何なのかということを考えたい。過去の惰性で、これといった理由もなく同じこと続けることに疑問を持ってしまう。

 男性が仕事をし、女性が家事や子育てを、といった時代が長く続いたが、それもすでに古い価値観になりつつある。日本ではまだまだ普及していないが、男性でも育児休暇が取れるようになったし、女性の管理職も(これまた日本では少ないが)現れ始めた。これまで「当たり前」とされてきたことが当たり前ではなくなり、「常識」だったことが常識ではなくなっている。

 日々めまぐるしく変化する世界は、そこで暮らす我々にも変化を強要する。環境だけが変わり続け、そこで暮らすものは不変であるということは、基本的にはあり得ない。
 8年前にはiPhoneはこの世に存在しなかった。そのことを考えると、私はいつも「いま、世界というのはあっという間に変わってしまうんだ」ということを改めて痛感する。

ロールモデルを探すのではなく、自分がロールモデルとなる

 過去のエントリで何度か紹介したことのある坂爪さん(@KeigoSakatsume)。彼が、先日こんな記事を書いていた。

 村上龍が言うところの「一般的な解がない」時代を、どうやって生き抜くのかということを考えたときに、「外部に正解を求めない」ということが大切になってくるのだと思う。「正解を求める」というのは、なにか「こうあるべき姿」のようなものがあり、それに自分を当てはめていく作業だ。だが、そもそも正解が存在しなければ、見つかるはずのない答えを延々と探し求めて人生を浪費してしまうことになる。

 私にも、「こういう生き方がしたいな」という漠然としたイメージがある。そして、それに近い生き方や考え方をしている人を探し、無意識に模倣しようとしてしまうことがある。人生のロールモデル探し。これは、誰もが少なからず持っている傾向ではないだろうか。

 だけど、これからはロールモデルをどこかから探してきてそれを必死に真似するのではなくて、自分がロールモデルになってしまうくらいの感覚でいいのではないか。他の誰もまだやっていないけど、自分としてはこういう生き方を提案します、実践しますでいいのではないか。

最後は、自分のやり方を信じるのみ

 「自分がロールモデルになる」という生き方には、不安がつきまとい、決して楽ではないだろう。「誰かと一緒」というのは、それだけで人を安心させる効果がある。

 だから、「一般的な解のない」時代に、自分なりの生き方を貫き通すために必要なこと。それはただひたすら「自分のやり方を信じる」ことだと思う。「自分はこう生きるんだ」と、宣言することだ。

 誰も正解なんて教えてくれないし、そもそもそんなもの存在しないかもしれない。
 あなたはあなただけの生き方を、世に提示し続ければいい。

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