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創作者でありたい、表現者でありたい

ファイル 2015-05-23 13 20 15

 私はSonyのミラーレス一眼カメラ「NEX-6」を使っている。それほど写真に興味があったわけではないのだけど、旅行でカンボジアを訪れた際、アンコールワットをずっとiPhoneで撮っていることがとてももったいなく感じて、「次の旅行までにちゃんとしたカメラを買おう」と思ったのがきっかけだ。

 最近でこそ、撮影のためにカメラを持ち歩くことも増えたけど、撮った写真をあとから見返すことってほとんどない。ブログで使用する写真は、PCに移したあとで加工したりするけど、それ以外はほとんどがお蔵入りだ。

 写真を撮る目的や理由は人によってまちまちだろうけど、大きく2つに分類できるように思う。「思い出」や「記念」として撮る人と、「作品」として撮る人だ。
 前者は、自分がどのようなところへ行き、どんなことをしていたのか、その記録として写真を残す。そのため、ふとした折に「ああ、そういえばこんなとこ行ったなあ」と写真を見返す機会も多いのではないだろうか。
 対して後者は、撮った写真を自分の「作品」として扱う。上手く撮れたかそうでないかが大切で、気に入らなければ二度と見返すことはない。写真を撮るという行為そのものや、「これは上手く撮れたな」という瞬間に喜びを感じるタイプだ。そしてこのタイプには、少なからずその作品の「発表の場」が必要になる。

 私はどちらかというと後者のタイプで、最近はInstagramがその発表の場になりつつある。Instagramは、写真を撮り誰かに見せるという行為を、ものすごく身近にしてくれた。SNSという括りで語られることが多いけれど、InstagramにはFacebookにもTwitterにもない、「アート」の要素が多分に含まれている。実際私も、Instagramをよく見るようになって「もっと写真うまくなりたい」と強く思うようになった。「もっと創造的でありたい」という欲求を掻き立てられる。

 創造的でありたい、表現者でありたいというのは、私がずっと抱いている欲求だ。今までは、「文章を書くこと」が唯一それに近い行為だった。でも最近は、写真を撮ることでも似たようなことができるんじゃないかと感じている。もともと「文章を書く」ということにも、それほどこだわりや執着があったわけではなく、手段はなんでもよかった。
 だから、もしかしたら自分は創作や表現の新しい手法を手に入れつつあるのではないかと感じていて、ちょっとわくわくしている。

 どんな方法、媒体であろうと関係なく、自分から何かを生み出し、それを通じて世に何かを問う。生み出した何かで誰かの心を動かす。そういった行為に私はずっと憧れてきたし、その気持はきっとこれからも変わらないと思う。

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