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「丁寧さ」とは態度であり姿勢である

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 何の番組だったかは忘れてしまったけれど、昔テレビでこんな話を聞いたことがある。なんでも、頭の回転が早い人ほど字が汚いのだそうだ。なぜかというと、頭の回転が早い人というのは、思考のスピードに字を書く手が追いつかず、結果的に字が雑になってしまうのだという。
 私はその話にまったく同意できなかった。むしろ、「何を言ってるんだ」と憤りを感じたほどだ。それでは、きれいな字を書く人は、頭の回転が遅い人なのかと。

 字のきれいさには、もちろん生まれ持った素質のようなものも関係するのかもしれない。子供の頃からそういった訓練を受けた人は、きれいな字を書くための技術を習得しているのだろう。
 けれども、私が思う字がきれいな人とそうでない人との決定的な違いは、「丁寧に書こうとしているか」だと思う。

 きれいな字を書く人は、「丁寧に、きれいに書こう」という意思と自覚を持って書いている。そういう姿勢で取り組んでいるのだ。男性よりも女性のほうがきれいな字を書く人が多いのは、男性の方が生来的に「雑」であり、女性のほうがそういった繊細な部分をより多く持ち合わせているからだと思う。

 だから、冒頭の「頭の回転が早い人ほど字が汚い」みたいなわけの分からない主張にはまったく同意できない。そうじゃない、これは姿勢の問題なのだ。

 そんな私の個人的な憤りを、古賀史健さんが今日のnoteで見事に表現してくださっていた。

文章がうまくなるのは、時間のかかることかもしれない。
ある段階以上にいきたければ、
それなりの才能も必要になるのかもしれない。
でも、「丁寧であること」については、時間も才能もいらない。
なぜならそれは「態度」の問題だから。
ダメな原稿と呼ばれるものの大半は、下手なのではない。
ただただ、腹立たしいほどに「雑」なのだ。

 丁寧であることに、時間も才能もいらない、それは態度の問題だ。まさしくそのとおりで、私が冒頭の主張に苛立ちを感じるのは、その「雑さ」に無理やり理由をこじつけて、正当化しようとしているように感じられてしまうからだ。

 古賀さんのこの記事を読んで私は、上手く書こうとするのはよそうと思うようにした。その代わりに、丁寧に書こうと。そう思うと、肩の荷が降りるかのように、不思議と文章を書くための心理的なハードルがぐっと下がった気がする。
 もちろん、上手に書きたいという欲求は常にあるし、なくなることもないだろう。けれども、文章というのは(文章に限らず)うまく書こうと思って書けるわけではない。でも、丁寧に書くことならできる。

 まあこんなもんでいいか、なんていう妥協や怠慢、慢心はすぐに読む人に見抜かれてしまう。それよりも、決して上手とは言いがたいけど、書くことに対する真剣さや丁寧さは十分に伝わってくる、そんな文章を書くように心がけよう。

 上手にはなれなくとも、せめて丁寧であろう。

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