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【香川旅日記 総集編】直島と豊島、どちらが楽しかったか。旅日記を書く理由とその意味。

 GWに行った香川旅行について、かなり長々とエントリを重ねてしまった。前半は直島について、後半は豊島について書いた。


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旅日記を書き続けた理由

 旅日記をこんなに書き続けたのは初めてだし、何かひとつのテーマをこんなに掘り下げたことも初めてなのだけど、実はそれにはいくつか理由がある。

 ひとつ目は、『(チェコ好き)の日記』を書かれている(チェコ好き)さん(@aniram_czech)の以下のツイートがずっと頭の片隅に残っていたから。

 私も、旅というと基本的にはひとり旅になる。でも、(チェコ好き)さんが言うような「旅行記書きたいがために旅する」みたいな感覚はなくて、あくまで自分が楽しむためという側面が強い。けれども、今回の旅をちゃんとまとまった文章にしてみたらどうなるのかなという興味があって、それが今回の旅日記を書く動機にもなっている。今回の旅を文章にしてみて、自分でどう感じるのかを確認してみたかった。

 ふたつ目は、自分が書いた文章や撮った写真を見た人が、「自分も行ってみたいな」と少しでも感じてくれれば、それは書いた意味があるのではないかということ。つまり、自分の体験を文章や写真で表現することで、読んでくれた人に何かを与えることができるのではないだろうか。できたとすれば、それはとても素晴らしいことなんじゃないかと。

 例えば、私は慎泰俊さんの文章を読まなければ豊島に行こうとはたぶん思わなかったと思う。でも、彼がnoteに書いていた文章を読んで、豊島という存在を知り、とても興味を惹かれた。だから、自分も同じことができればなと思ったのだ。

 そしてもちろん、今回の旅がこれまで経験したものの中でもかなり印象深く、楽しみに満ちたものだったため、純粋に「ものすごく良かった!」ということを伝えたかったということもある。

直島と豊島、どちらが楽しかったか

 先に結論から言ってしまうと、私は豊島の方が断然楽しかった。それは書いたエントリの数にも表れているのだけど、豊島はほんとうに行ってよかったなと思うし、また行きたい。
 おそらく知名度は直島のほうが上だし、来島者数も多いはずだ。見るところはたくさんあるし、交通の便も発達している。でも、私は逆にそういった、直島にはあって豊島には無いもの、という部分に惹かれた。直島にはなくて、豊島にあるものではない。直島にはいろんなものがあったから、それがない豊島のほうにより魅力を感じたのだ。

 豊島にも、豊島美術館や心臓音のアーカイブなど、素晴らしい現代アートはいくつかある。でも、私は単純に、豊島という島を快晴の空の下自転車で走り回るという行為そのものが、ただただ楽しかった。
 平凡な表現になってしまうけれど、子どもの頃に戻ったかのような感覚を味わうことができた。なんというか、頭で理解して感じる楽しさや喜びではなく、ただただ心と身体が楽しいと言っている、そんな感覚だった。

 今までの旅でもそういった、ある種原始的な喜びを感じることはあったけど、今回の旅、とりわけ豊島では強烈にそれを感じることができた。ずっとワクワクしていたし、やっぱり自分は旅をすることが好きなんだと再確認することができた。

 突き詰めると、こういうのは単に「好み」の問題なんだとは思う。直島と豊島、どちらがより楽しい場所かというのは、人それぞれだろう。だから私は、是非とも両方の島を訪れて、それぞれの島の違いを自分の肌で感じとってほしいと思う。
 私は直島と豊島、それぞれ1日づつかけて回ったけれど、1日で二つの島を回ることも不可能ではない。でも、かなり駆け足の旅程になってしまうだろうから、できれば日を分けて回るほうが結果的に楽しめると思う。2日かけて回った自分でさえ、もう一度行きたい、まだ見きれていないところがあると思ってしまうのだから。

旅日記を書き続けることの意味

 最初の方のエントリは旅から帰ってきてすぐに書き始めたのだけど、途中かなり時間が空いてしまい、最終的に1ヶ月以上経過してしまった。時間が経ってから文章にしようとすると、当時どんなことを考え感じていたのかを、必死に思い出さなければならなくなる。それはときにとても難しいことで、おそらく忘れてしまっていることもたくさんあるのだろう。

 自分の体験や思考の過程を文章にすることは、そういった放っておけばいずれ消えてなくなってしまうような曖昧ななにかを、忘れないうちに楔で打ち付け、明確な形にして残すことだ。私は途中から、「自分の中から大切な何かが流れ落ちていく」ような変な焦りのようなものを感じながら書いていた。

 それが自分にとって、切実で意味のあるものなのであれば、わざわざ文章にしなくても忘れることはないのかもしれない。Tattooのように、頭や身体のどこかに意図せず刻み込まれるものなのかもしれない。でも、きっとそうではないものの方が多い。日々感じているさまざまな感情や、流れ続ける思考は、何か形を与えてやらなくてはすぐに立ち消えてなくなってしまう。文章というのはそのひとつの形であり、器だ。

 今回の旅日記を書いている最中、当時の記憶がフラッシュバックして、そのときの興奮をありありと思い出せる瞬間が何度もあった。書くことで、自分が感じていたことの理解をより深めることができた。
 旅日記を書くことの意味とは、自分の行動の記録という面ももちろんあるけれど、それ以上に、自分の思考や感情を整理し、理解するということなのだ。

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