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ランニングを続けることで得たひとつの教訓

 ランニングを続けることによって得られる変化は、何も肉体的なものだけでなく、精神的なものであることが多かったりする。

 最近では、1ヶ月に200km走ることを目標にしており、5月は無事達成できたが6月は182㎞に終わった。1ヶ月に200kmというと、毎日7kmほどを1日も欠かさずに走らなければならず、これはかなり意識して取り組まないと達成できない。最初の方に調子よく走れていたからといって後半にサボったりすると、190kmとかものすごく中途半端な距離で終わってしまい、後悔と自己嫌悪に陷ることになる。

 とは言っても、たまには休みたいときもあるし、「ああ、今日は走りたくないな」と思うことなんてしょっちゅうある。今はまだいいけれど、冬なんかは外に出ることがものすごく億劫になるし、夏は夏で地獄だ。
 けれども、「明日走ればまあいいか」などと言って、これといった理由もないのに先延ばしにしてしまうと、翌日は雨が降ったり、仕事が忙しくて帰れなかったりと、予想外の事態で「走りたくても走れない」という状況に陥ることがある。

 そんなとき私は決まって、「こんなことなら昨日ちゃんと走っておけばよかった」と思うのだ。

 こういったことを何度か繰り返すうちに、私はひとつの教訓のようなものを学んだ。それは、「今できること、やろうとしていることは、明日も同じようにできるとは限らない」というものだった。これは、ものごとを先延ばしにせず、できるだけ今日の内に済ませておきなさいねという類の話ではない。

 そうではなくて、「あなたがこの先、どんなにそれを望んだとしても、それを実行できる機会はもう二度とやってこないかもしれない」ということ。だから、今できること、やりたいことは、それができる内に済ませておくべきなんだと。

 私たちは頭のどこかで、明日も同じような一日を送れるものだと錯覚している。それは一見自然なことなのだけど、実際にはそうではなくて、「結果的に」今日と同じような一日を送っているに過ぎない。明日も同じことをやれるチャンスが巡ってくるだろうと盲目的に信じているから、目の前にある、その場限りかもしれない機会をみすみす放棄するなんていう選択がとれてしまう。

 今できていること、やれていることが、明日も同じようにできる保証などどこにもない。だから、「やれることは、やれるうちに」。明日に期待を持ち越すのではなく、明日の自分のために今日終わらせてしまう。
 なかなか難しいことではあるけれど、これが私がランニングを続けることによって得ることのできた、ひとつの教訓である。

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