スポンサードリンク

コミュニケーションにおける「認識の相違」をなくすために必要なこと

unsplash_5244808e6b835_1

 仕事をしていると、ちゃんと伝えたはずなのに伝わっていなかったとか、説明したのに理解されていなかったとか、コミュニケーションにおけるトラブルはつきものだ。中でも、「認識の相違」と言われる状態は特に厄介だ。

 認識の相違とは、お互いが同じものを見たり、同じトピックについて話しているのに、それぞれ異なる解釈と理解をしている状態のこと。

 この認識の相違が厄介なところは、お互いが「理解した(された)」と思っていることだ。例えば、花瓶にささった花を見て、一方は「これは花だ」と認識し、一方は「これは花瓶だ」と認識したとする。お互い、間違っているわけではない。どちらも正しいのだけど、この「どちらも間違っているわけではない」という点が非常に厄介なのだ。

 これは実際に経験したことでもあり、ネットでも見かけたことのある話なのだが、例えば「今日中にお送りします」と言われたら、あなたはいつまでを「今日中」と認識するだろうか。多くの人は、その日の就業時間までだと解釈するかもしれない。もしくは、21時位までであれば「今日中」の範囲内だと言う人もいるかもしれない。
 だが、「今日中とは、翌日の始業時間まで」を指すのだと認識する人も、世の中にはいるのである。翌朝会社に来て、メールをチェックしたときに資料が届いていたら、それは「今日中」に送付されたことになるという認識でいる人がいるのだ。

 これも、お互いが「納期は今日中だ」という情報を共有しているのだけど、認識している「今日中」という定義が異なるために起こる事象だ。

スポンサード リンク
スポンサード リンク

なぜ認識の相違は起こるのか

 認識の相違が起こる理由については、大きく二つ挙げられるように思う。ひとつは、自分の見ているもの、聞いているもの、考えていることなどは、当然相手も同じように見、聞き、考えているはずだという一方的な期待を、誰もが多少なり持っていること。これは、人が潜在的に持ち合わせている利己的な部分なので、自分で気付くことが難しい。先に述べた「今日中」という定義についても、「今日中」という定義が他に存在するなんて思ってもみないのだ。

 ふたつめは、相手がちゃんと理解しているか、お互いの認識が合っているか確証が持てないのに、それを確認することをためらってしまうこと。例えば、相手のほうが立場や力関係が上の場合、「今のはこういう意味で言ったんですけど、分かってもらえましたか?」と聞きたくても聞けないことがある。それが失礼に当たるのではないかと臆してしまい、結局うやむやなまま終わらせてしまうのだ。

 こういった、人の感情や習性が組み合わさり、「同じものを見ているのにまったく別のものに見えている」という状態が発生してしまう。

認識の相違をなくすためには

 つまるところ、認識の相違というのは単なるコミュニケーション不足が主な原因であることがほとんどだ。だから、自分にとっての常識が相手にとっての常識ではないし、同じものを見ても相手にはまったく違うものに見えているかもしれない、という当たり前の危機感を持たなければならない。また、その場の空気に流されたり、面倒臭がらずに、必要だと思われることは相手にきちんと確認する必要がある。

 花瓶にささった花を見て、「これは花ですよね」と口にする。そうするともしかしたら相手は「いや、これは花瓶でしょ」と返すかもしれない。そこで初めてお互いが異なる認識を持っていたことが明らかになる。言葉にしてしまえば一言二言で済むのに、その労力を惜しむから後々面倒なことになるのだ。

 認識の相違をなくすための、コツや秘訣があるわけではない。
 自分の常識を疑い、手間を惜しまず、ていねいなコミュニケーションを心がける。それだけで、認識の相違という厄介な状態は減らすことができるのだ。

コミュニケーションが成立するという幻想
10月からジョギングを始めました。 まだ初めて2ヶ月ちょっとですが、出来るだけ毎日走ろうと思っています。 小さなことでも、何かひとつ...
「きっと分かってもらえるだろう」という淡い期待と愚かな幻想
コミュニケーションを取るということに関して改めて思うことがあり、以前にも同じようなことを書いた気がしたので探してみたらこんな記事を書いていた...
スポンサード リンク
スポンサード リンク

気に入ったらシェア!

スポンサード リンク
スポンサード リンク