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【書評】村上龍の新作エッセイ『おしゃれと無縁に生きる』

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 前作の「ラストワルツ」に続く村上龍の新しいエッセイ集、「おしゃれと無縁に生きる」が発売された。以下のエントリでも書いたとおり、男性誌「GOETHE」で2011年から2015年まで連載されていたものをまとめたものだ。

 「おしゃれと無縁に生きる」というタイトルが印象的だが、もちろん、ファッションに関する考察が綴られた本ではない。表題作でもある「おしゃれと無縁に生きる」という章から、その言葉の意味するところを少し掘り下げてみたい。

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仕事のできる人はおしゃれに無縁?

 村上龍は、自身の周りにいる著名な文化人や仕事ができるメディア関係者などには、おしゃれな人がいないという。その理由は単純で、自身も含め、充実した仕事をしている人は当然ながら忙しく、ファッションに気を使うような時間的余裕が無いからだそうだ。

 経済力に応じた普通の格好をしており、普段の生活で十分満たされているため、女性から「おしゃれですね」などと言われたいという願望もない。普通にしているだけで、「じゅうぶんに人気がある」のだという。

 これは、おしゃれに気を使う余裕のある人は、たいした仕事もしていなくて、お金や時間や集中力を費やす対象が他にないのだ、というようなひねくれた受け取り方もできてしまう。

 ただ、成功者がおしゃれに無頓着だというのは、確かに一理あるのかも知れない。アップル社の故スティーブ・ジョブズはいつも同じタートルネックを着ていたし、オバマ大統領は2色のスーツしか持っていないそうだ。

 人間が何かを選択したり決断したりする際には、実は多大な労力が必要であり、1日の内に費やせる限度が決まっているのだという。そのため、重要な選択や決断を迫られる立場にいる人は、できるだけその回数を減らそうとするのだそうだ。

 成功者たちは、おしゃれをすることよりも優先すべきもの_「仕事」を抱えており、そこから充足感と収入を得ることにより、「結果的に」おしゃれとは無縁でいられる。乱暴にまとめるとそういうことになるのだろうけど、本当に、彼らは成功者だからおしゃれとは無縁なのだろうか?

 私は、「おしゃれ」というのは個人的な興味や関心の度合いによるものだと思う。村上龍の言うこともなるほどなと思うところもあるけれど、成功者だろうがなんだろうが、着るものにこだわる人は徹底的にこだわるだろうし、もともと興味のない人には関係のない話なのではないだろうか。

日本語は乱れない。乱すのはいつも、それを使う人だ

 もう一つ印象に残った章があったので紹介したい。「日本語の乱れ」という章で、村上龍は以下のように書いている。

考えてみれば当たり前のことだが、日本語自体が乱れるわけではない。誤った組合せで用いて、その機能を阻害し、日本語という言語体系を堕落させるのは、それを使う人だ。日本語そのものは、広義のツールであり、ニュートラルなものだ。だから、守られるべきものでもない。

 また、「〜させていただきます」という表現は、日本人や社会の堕落を象徴する表現だという。この「〜させていただきます」という表現は、一見へりくだっていて、謙虚で、敬意を表しているように見えるが、実際は自分の意志や決定、責任の所在を曖昧にしているだけだと指摘する。自分は小説を「書かせていただいた」などとは絶対に言わない、自らの意思で「書いた」のだと。

 これと同じことを、村上龍は「五分後の世界」という小説の中でも書いていた。

わかった、ここで今貴様の弁解を聞いてもしかたがない、もう止めろ、それと、言わせていただくとか説明させていただくとかいったい誰が使い始めたんだ、そういう妙な日本語は禁止せよ、貴様は誰かに許可を得たり依頼されて話しているのか? 自分の意志と責任で話しているのだろう? 言います、説明します、で十分ではないか、ミズノ少尉は不快そうに老人に向かって言った。_「五分後の世界」 175P

 「〜させていただきます」という表現は私も仕事でよく使っている。「ご連絡させていただきます」とか「お送りさせていただきます」とか、今思えば妙な表現だなと思う。へりくだって、丁寧に表現しているつもりかもしれないけれど、まわりくどいことも事実だ。

 自分も無意識のうちに、決定や責任の所在を曖昧にしようとしてるのかと思うとイヤな気持ちになった。確かに、「〜させていただきます」という表現は英語には無い気がする。

 「日本語が乱れるのではない、乱すのはそれを使う人だ」という指摘は、とても的を射ているなと感じた。

全体的な感想

 本書には44の章が収録されているが、ひとつひとつがコンパクトにまとまっているので、通して読まずとも楽しめることができる。「すべての男は消耗品である」シリーズよりも、「無趣味のすすめ」に近い印象を持った。

 ただ、なんとなく言いっぱなしというか、遠くから諦観しているような感じの文章も多かったように思う。もう自分は、今の日本や日本人に対してあまり言いたいことはない、というような。

 でも、やっぱり村上龍の書くエッセイは、村上龍にしか書けないものだとも思う。私はエッセイやコラムが好きでよく読むけれど、彼の文章に取って代わるようなものは未だに読んだことがない。何だかんだ言って自分は、村上龍の書く文章が好きなんだなぁと思う。

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