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「書くこと」が好きなのか、「書いている自分」が好きなのか

 過去に何度か書いたことがあるけれど、私は「書くこと」が特に好きなわけではない。本を読むのは昔から大好きだったけど、このブログを始めるまでは、自分が不特定多数に向けてなにか文章を書くなんて考えてもみなかった。

 そんな私がなぜブログを始めたかというと、これもどこかで書いた気がするけれど「ヒマだったから」というのが正直な理由である。当時の自分は、仕事が落ち着いてきて自由な時間が増えたのに、やりたいこともやるべきこともさほどない、という現実にとてもショックを受けていた。だから、とにかく何か始めることにしたのだ。できるなら体を動かしたり、何かものをつくる活動をしようと思い始めたのが、このブログだ。

 特に好きでもない「書くこと」をあえて選んだのには、もちろん理由がある。作文は昔から得意だったし、割と筆まめではあったから、自分にもできそうだと思ったことと、自分は果たしてどれくらいのものが書けるのだろうという好奇心があったからだ。あとは、やっぱり「文章を書ける人」というのに憧れのようなものを持っていたのだと思う。文章を消費する側から、創作する側にまわりたいという、密かな願望があったのだ。

 そんな感じでこのブログを始めて、もうすぐで2年になる。書くことが好きで仕方ないというわけでもないのに、こうしてせっせとWebに文章を綴っていることについて、「村上龍も書くことは好きではないと言っている」とか「書くことからしか得られない充実感がある」とか、いろいろ書いてきた。

 けれども、先日、星井七億さんがnoteに書かれたこちらの記事を読んで、ものすごくギクリとした。

 先日、知人を経由してひとりの男の情報が僕の元へ流れてきた。五年ほど前に僕がケンカ別れをした男のことだった。児童ポルノ法違反で書類送検されてその後、人を殴り現行犯逮捕されたらしい。  僕はその仔細を聞いたとき、宜なるかなと思った。そういうところへ堕ちても、彼ならいつそうなってもおかしくないと思わせる要素が多...

__僕がほぼ書いたものを載せても合同誌とはとても言い難く、さらに僕によって勝手に仕上げられたものを見ても、それをそのまま受け入れたKの低すぎるプライドに大きく失望したからである。Kは小説を書くのが好きなのではなく、小説を書いている自分が好きだったのだ。(強調は筆者)

 最後の一文を読んで、私はなぜだか「これは自分のことだ!」と反射的に感じた。
 村上龍を引合いに出したり、「充実感」なんてもっともらしいことを言っていたけれど、自分も結局は「書いている自分」が好きなだけなのではないか。書くという”行為”ではなく、それに関与している”自分”が好きなだけ。興味の対象は書く内容ではなく、あくまで書いている自分でしかない。そういう、自分の隠れたナルティシズムや、本質的ではない動機にもっともらしい後付けをしていた自分が、めちゃくちゃ恥ずかしくなった。

 でも、だからといって、いきなり書くことをやめようとはもちろん思わない。自分がほんとうに、書くことに対して何の執着も意欲もないのであれば、もうとっくに止めているだろうし、これからも長くは続かないだろう。

 自分が書いた文章に対して何かフィードバックをもらえたり、読んでくれた人の具体的な行動につながったりすると、やっぱり嬉しいしもっといいものを書きたいと思う。そう考えると、自分は書くという行為自体はそれほど好きではないけれど、その結果どんなことが起こるのかいうことに興味があるのかもしれない。自分が書いた文章によって、どんな変化が起こせるのかということに(その対象は他人でもあり、自分でもある)。

 「書くこと」が好きなのか、「書いている自分」が好きなのかという、問いにもその答えにもあまり意味はないのかも知れない。重要なのは言うまでもなく書いた内容であり、動機や目的がどうであれ、読んだ人が「この文章を読んでよかった」と思えるかどうかなのだから。

 星井さんの文章を読んで、何か本質的な気付きを得た気がするけれど、あまりそこに縛られることもなく、書けるだけ書いていこうと思う。書くことが自分にとってどのようなものなのかは、書き続けた先にしか見えてこないものなのだ、きっと。

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