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最近読んだお気に入りの記事(最高の「風立ちぬ」評ほか)

 インターネット上では毎日毎日毎日新しいコンテンツが生まれ、追加・更新されていく。私たちはそのごくごく一部にしか目を通すことはできないわけだけど、だからこそ、その中から自分が「素晴らしい!」と思える文章を発見したときの喜びはひとしおだ。ほんとうに、みんなよくこんなに書けるよなあと感心してしまう。
 人類が初めて文字を使い始めたのは、はるか昔、紀元前にまで遡るらしい。気が遠くなるくらい昔からさんざん書かれてきたはずなのに、未だに「書き尽くされる」ということはないんだろうか。

 今日は、私が最近読んだお気に入りの記事をいくつか紹介したいと思う。

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『『風立ちぬ』を見て驚いたこと』

 実は、「風立ちぬ」は2回映画館に見に行って、2回とも号泣するほど感動してしまった作品。ちなみにDVDでも見てもう1回泣いた。
 今までに読んだ「風立ちぬ」評は、岡田斗司夫さんの書いたものがいちばん良かった。全文はもう読めなくなってしまったけど、ハイライトであれば以下から読むことができる。

これは僕の持論なんですけど、あらゆる物事で感動するというのは罪悪感が解消されるからなんです。立派に生きた人の映画を見て僕らが感動するのは「そんな風に生きられない自分自身」を肯定されているような気がして感動するんです。
 何か人間がポロポロ泣くというのは「もうそんな風になれない自分」を感じるから泣くんであって、だから子供は感動しないです。感動する話は大人にならないと分からないとか、物心ついて、10歳とか11歳くらいにならないと分からないというのは罪悪感がないからです。

 が、先日読んだこの文章の方がもっとすごかった…。何も付け足す必要のない、完璧な評。

 宮崎駿の『風立ちぬ』を見ました。かなり驚いたので、感想を書きたいと思います。いわゆるネタバレがありますので、まだ見てない方は読まれない方が良いと思います。映画を見たこと前提に書きますので、まだの方には意味がわかりにくいかもしれません。  「えっ、本当に?」というのが、『風立ちぬ』を見た僕の最初の感想でした。なん...

 どちらの評にも共通しているのは、この映画はすごく残酷であるということ、そして、堀越二郎は美しいものにしか結局は興味がないんだと書かれている点。

 主人公、堀越二郎は一見すごく良い奴みたいに描かれていますが、根っこの部分は人の心が分からない薄情者です。映画の端々で彼の薄情さが描かれます。特に妹が訪ねて来る時にいつも約束を忘れていて、妹を一人ずーっと待たせているところに明々白々な表れ方をしています。

ある日、飛行機の設計が終わり、徹夜明けで帰ってきた二郎が、菜穂子の隣にバタンキューと眠ってしまうと、菜穂子は二郎の掛けていた眼鏡を外します。美しいものを追い求める男の眼鏡を外すのは「美しい私を見るのは、もう最後だ」というサインです。

 もちろん、これらは見た人の勝手な解釈や憶測にすぎず、宮崎監督がほんとうにそんな意味を込めて映画をつくったのかは知る由もない。実際はそこまでの深い意味なんてないのかも知れない。でも、この評を読む前と読んだ後では、映画に対する印象や感想もずいぶんと違ったものになるのではないだろうか。

 私はこの評を読んですごく感動したのだけど、何か作品を批評する際には、評する側の知識や表現力も必要になる。でなければ、「すごく良かったです!」みたいな小学生の感想文のようなものしか書くことができない(私のように)。

 素晴らしい批評というのはときに、その作品をさらにおもしろいものに変えたり、その作品の違った魅力に気付かせてたりしてくれる。この記事を読んで、また「風立ちぬ」を見たくなってしまった。

『ファッションに大切な要素  1.品 2.色気 3.愛嬌』

 こういう文章、素敵だなあと思う。

私が大切にしていることはね、服でも人でもそうだけれど、品(ひん)なの。品が大切なの。品と色気よね。それから愛嬌よ」と教えてくれたのだ。魅力の要素は品である、愛嬌であるとはよく聞くけれど、加えて【色気】と仰るところに私は大きく頷いた。「品っていうのはね、隠れた部分の完璧さ」なるほど。「愛嬌っていうのはね、遊び心」なるほど。「色気っていうのはね、色気っていうのは、教養なのよ」

 筆者の方も書かれているけれど、”色気と教養を結びつけるセンスに脱帽”。

『村上春樹さんが「本とおでかけ」した 熊本の知られざる魅力とは?』

 偶然本屋で見かけた「CREA」という雑誌。「村上さんも本を持って旅に出た」というコピーに惹かれて読んでみると、村上春樹の熊本旅行記が書かれていた。結構なボリュームがあって(24ページ!)、時間を忘れて読みいってしまった。実際に旅に持っていった本も紹介されていておもしろかった。

 こちらはそのWeb版の記事。

CREA2015年9月号「本とおでかけ。」の巻頭企画として、村上春樹さんの書き下ろし旅エッセイが掲載されています。今回の原稿のための熊本への旅。同行したCREA編集部員が、ちょっとだけこぼれ話をご紹介いたします。

『単純に考えて「毎日やってる人」にちょこっとやったくらいで勝てるわけないだろう。という話』

かなりの頻度で内外からも相談される事に& 「結果に繋がる方法論とは?」 という事があるんですが、その質問をされると必ずと言っていいほどこう返します。 「えっ?その質問をなさる時点で見えているのでは?」 と& ものすごく不毛な議論だとは思うのですが、そういった後に続いてこういう話をします。 「毎日、積み重ねる様

 こういうのを読むと、結局人って「やった人」と「やらなかった人」の2種類がいるだけなんだなあと考えてしまう。

 ここに書かれているような、成人式にも出ず、友人の慶事にも出ず、親族の葬儀にも出ずに仕事に打ち込むことが「いいか悪いか」はさておき、それくらいの覚悟でやり続けているからこそ到達できる領域があるのだろうということは理解できる。

 楽して結果につながることなんてない、というのはまさしく。

『ポジティブな言葉を使う、理由。』

 この世におもしろいことなんて何もない、だからこそポジティブな言葉を使うんだ。一見矛盾したことのように感じられるけれど、読んでいくとなるほどなと思わされる。淡々と語られる言葉の節々に、ものすごく熱いものがぎゅっと詰められている。

それにしても、ぼくらの毎日はひどく退屈か、ひどくあわただしいか、あるいはその両方で、何もおもしろいことなんてない。

そんな状況で、急に誰かが「いま、たのしいよね!」「おもしろいよね!」「がんばるってきもちいいよね!」
などと言い出したら、こいつはいったい何をしようとしてるのかと警戒するに決まっている。

だけど、ぼくはできるだけ前向きな言葉を使うようにしている。

それは、このつまらない現実をぶっこわしたいと、いつも思っているからだ。

『書けない時にあなたを助けるアウトライナー・ストーミング』

 私も、ブログを書くときはWorkflowyというアウトライナーを使っている。書きたいことが浮かんだら仮タイトルを取りあえずメモしておいたり、簡単な章立てや構成を考えたり、参照する記事のURLを貼っておいたりと、けっこう重宝している。

 アウトライナーでできることはたくさんあるのだけど、特に便利だなと思うのは、文章の順序を簡単に変更する(入れ替える)ことができるという点。とりあえず思いついたことを箇条書きにしておいて、後からそれらを並べ替えて文章の構成を練っていく。書く前から構成を組立てようとすると大変なので、まずは頭の中にあるものや、思いついた言葉を短くてもいいからひたすら書き出していく。それらをグルーピングしたり関連付けたりする作業に、アウトライナーはとても適している。

 この記事で紹介されている<くずかご>をつくるというのはいいなと思ったので、取り入れてみよう。

まとめ

 インターネットが好きなのは、こういうコンテンツや文章に予期せず出会えるところ。もちろん、プロの物書きが書いているものもあるのだけれど、無名の素人が書いた文章でも素晴らしいものはたくさんあるし、そっちの方が読んでいておもしろかったりもする。
 今までは、活字を読む = 本を読むことだったけど、今では本を読んでいる時間よりもインターネット上の文章を読んでいる時間のほうが多いかもしれない。

 そんなふうにして私は、今日もどこかで素晴らしい文章に出会えることを期待して、インターネットという大海原を徘徊するのである。

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