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何も成し遂げないまま人生の時間がただ過ぎていく

 23歳のときにおれは『限りなく透明に近いブルー』を書いたと、わたしは23歳の編集者に言う。だからお前は若くも何ともない、23歳なのに何ごともなしえていないじゃないか。_『逃げる中高年。欲望のない若者たち』

 人は人生において、必ず何ごとかを成し遂げなければならないなんてことは、もちろんない。プロのアスリートや芸術家、ミュージシャンや作家などでもない限り、「何ごとかをなしえる」機会なんてそうそうあるものではない。

 けれども、最近の自分は「ただ時間だけが無為に過ぎ去っていくこと」に対して変な焦りというか、無力感のようなものを強く感じている。仕事は充実しているし、旅行の計画もあるし、毎日走って体を動かしているし、見たい映画はたくさんあるし読みたい本は山積みだ。それなのにどうして、こんなに虚しいというか空虚感を感じてしまうんだろう。

 ぼんやりとではあるけれど、きっとこういうことが原因なんだろうなと思うことはある。それは、「所詮、自分はなんにも生み出していないじゃないか」ということだ。人生という時間や、そこに含まれるあらゆる事物をただ”消費”しているだけで、自分が新しく何かを生み出し、この世に残せているわけではない。何をしても、何を見ても、何を読んでも、それが「何ごともなしえていない自分」から目を逸らすためのごまかしのように思えてきて、徒労感にとらわれてしまう。

 例えば、結婚したり子どもができたりするとまた違うんだろうか、なんていうことを考える。無条件に愛せたり、自分の命すら惜しくないと思えるような対象を持つことは、人生においてきっととてつもなく意味を持つことであることは間違いない。今の自分にはそういう、「すべてを投げうってでも、自分のすべてを注入したい対象」というものがないから、こんなことを考えてしまうんだろうか。

 折にふれて、冒頭で引用した村上龍の言葉が頭に浮かび、「ああ、楽しいけど、これって何にもならないよな」と、妙に諦観した気持ちになってしまう。そうではなくて、これが自分がこの世に残したものだと、胸を張って言えるようなものが欲しい。自分の生きた証とでも呼ぶべき、そんなものを生み出したい。

 何ごともなしえないまま人生の時間がただ過ぎていくことが、ただただ怖い。

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