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生きとし生けるすべての者へ

 Mさんと出会ったのは、私が初めてアルバイトを始めた居酒屋でだった。高校に上がったら絶対にバイトをしようと決めていた私は、実家から自転車で10分ほどの距離にある居酒屋で働き始めた。16歳になったばかりの頃の話だ。

 自分は接客業には向いていないと無意識に感じていたのか、私は何の疑問も抱かずに厨房志望で申込んだ。料理の経験なんてまったくなかったけれど(16歳の男子高校生にあるわけがない)、なんとか無事に採用された。「家計を助けるため」という志望動機が効いたのかもしれない。
 当時、厨房で働く高校生は私ひとりだけで、他は皆大学生やフリーター、あとは社員さんと料理長のみだった。

 厨房に二人いた社員さんのうちのひとりが、Mさんだった。Mさんは金髪に近い茶髪で、ちょっと襟足が長く、背はそんなに高くなくて、初めて会ったときは少し怖そうだなと思ったのを覚えている。Mさんは決してヤンキーではなかったけれど、何となくやんちゃそうな雰囲気をまとっていて、髪型や髪の色がよく変わったし、調理服の着方もなんとなくだらしなかった。
 私はそんなMさんが好きで、格好を真似したり、音楽の話や服の話なんかをよくするようになった。Mさんも服を買いに行くのが好きだったので、二人でよく大阪や名古屋に買い物に行った。休みを合わせて、Mさんの車に乗せてもらって遊びに行くことは、高校時代の自分にとっては数少ない楽しみのひとつであった。

 厨房には他に、Kさんというもうひとりの社員さんと、Nさんという料理長がいた。私はその二人とも仲良くなり、Kさんのアパートには一時期居候させてもらっていたし、Nさんとは未だに遊んだりお酒を呑んだりする仲だ。特にNさんは、年齢がひと回り以上違うのに、ほんとうに友だちのように接することのできる貴重な存在だ。

 もともと私は、年上の人に囲まれている方が精神的に安定するし落ち着くタイプなので、その居酒屋でのバイトはとても居心地が良かった。高校生活がものすごく退屈で、自分の居場所もあまり見つけられずにいたせいか、徐々に仕事を憶えて色んなことを任せてもらえるバイト先に居るほうが、とてもリラックスできたし何よりも楽しかった。

 Mさんとのエピソードで、特に印象に残っているものが二つある。
 確かそのときも、Mさんの車で大阪かどこかに買い物に向かっている道中だったと思う。私は始まったばかりの高校生活に早くも退屈しきっており、すでに興味を失ってしまった対象(建築だ)を勉強し続けなければならないことがいかに苦痛か、そこにいる教師たちがどれほどつまらない人達かを、延々とMさんにまくし立てていた。
 ときおり相槌を打ちながら私の話を聞いてくれていたMさんは、突然「よし分かった!お前にとっておきの秘密を教えてやろう」と言い、後部座席から一枚の写真を引っ張り出し私に差し出した。

 そこにはMさんと、ホール係として働いている女性社員のWさんが楽しそうに写っていた。Wさんはお客さんからも人気がある、お店のヒロイン的な存在だった。状況がよく飲み込めずにいる私に向かって、Mさんはこう告げた。

「俺、Wと付き合ってるねん」

 それまでの文脈をまったく無視したMさんの唐突な告白に、私はいささか面食らいながらも「お、おう…」と返すしかなかった。Mさんがなぜそのタイミングでそんな話を切り出したのかは分からないが、アルバイトがほとんど知らず、限られた社員の間での極秘事項とされている事実を、私にだけ打ち明けてくれたことは素直に嬉しかった。そのことで私の高校生活はちっとも改善されなかったけれど。

 今思うと、あれは彼なりに何かを差し出してくれていたのかもしれないと、今になって思う。お前(私)が俺に打ち明けてくれたように、俺もお前(私)に何かを打ち明けようと。あるいは何も考えてなかったかもしれない。

 でも私は、「MさんとWさんの交際」という限定された情報を共有できたことで、よりいっそう彼に親近感を抱き、それまで以上に彼を頼るようになったし、もっと色んな話をするようになった。くだらない話もたくさんしたけれど、同じくらい真剣な話もたくさんした。私が「海外に行きたい」と話したときも、「行けばいい」と言ってくれた。

 もうひとつ、Mさんが新しい車を購入したときのこと。彼は車も好きで、仕事中によく中古車情報誌を読んでいた。納車の日、私はMさんとたまたま同じシフトだったため、「ちょっとどっか行こうぜ」とドライブに誘われた。私が、「最初に助手席に乗せるのはWさんじゃなくていいの? 怒られない?」と聞くと、「大丈夫や。そんなんで怒られたらたまらんわ」と聞く耳を持たず、私を助手席に乗せて店の周りを軽くドライブに連れ出してくれた。

 後から聞いた話なのだけど、Mさんは彼女をいちばんに乗せなかったという理由で、やはりこっぴどく怒られたのだそうだ。それを聞いて私は「だから言ったやん! 」と弁解した。Wさんも、私にMさんとの関係がバレていることは知っていたので、そのことで私まで怒られたらたまったもんじゃない。Mさんは「なんでそんなことで怒るかなあ…」と、最後まで納得がいかない様子だったけれど。

***

 Mさんが亡くなったという知らせを受けたのは、9月も終わりに差し掛かった、シルバーウィークの最中だった。正確に言うと、「亡くなったかもしれない」という連絡を、Nさんから受けた。仕事中で電話に出られなかった私は、Nさんから届いたLINEのメッセージを見てすぐさまかけ直した。声を詰まらせながら電話に出たNさんが、ことの顚末を説明してくれた。通勤途中にMさんと同姓同名の葬儀案内を見かけたので、まさかと思い調べてみると、名前どころか年齢も、喪主である奥さんの名前も同じだったのだという。

「たぶん間違いないと思う」

 Mさんを始め、NさんもKさんも、すでに別のお店や仕事に移っており、しばらくは親交がなかったから、はっきりとした情報を確認する術がなかった。とにかく俺は葬儀に向かうから、また後で連絡するよと告げられた私はいったん電話を切ったものの、その後の仕事はまったく手につかなかった。「自分も葬儀に向かうべきではないか」という疑念が頭から離れず、パソコンのモニターに映る文字を見るともなく眺めていた。

 結局私も、仕事を中抜けして葬儀会場へ向かうことにした。Nさんに電話でそのことを伝えた。

「じゃあ会場の外で待ってるわ」
「うん、もし赤の他人の葬儀だったら、後で笑い話にしよう」と言って電話を切り、私は急いで車を走らせた。

 遺影の中のMさんは、ハットを被ってこちらに少し微笑みかけていた。ハットを被った遺影なんていかにもMさんらしいなとか、飾られたHI-STANDARDのCDを見て「あれ、Mさんてハイスタ好きだったっけ」とか、どうでもいいことばかりが頭に浮かんできて、それが不謹慎なことであるかのように思えて、頭から振り払おうとした。目の前の事実を受け止めまいと、思考回路が無理やり捻じ曲げられてしまったみたいだった。

 葬儀はとても立派なもので、少し遅れて到着した私たちは2階に案内された。そこには1階で執り行われている葬儀の様子が、モニターに映し出されていた。葬儀の実況中継をテレビで見ているような感覚に陥り、私はまた現実感を失いそうになった。できれば近くで見たいと思った。

 「息子は、妻と3人の幼い子どもを残して、逝ってしまいました」と、絞り出すようにして吐き出された親父さんの言葉を聞いたとき、私は頭を鈍器で殴られたような軽い目眩を覚え、世の中にこんなに残酷な言葉があるのかと思った。親父さんのその言葉を合図にするかのように、周りからいっせいにすすり泣く声が聞こえてきた。

 どうしてこんなことが起こるんだろう、どうしてMさんが死ななくてはいけないんだろう、どうして人は、死んでしまうんだろう。

 私は、「人はいつか必ず死ぬ」という当たり前の事実が、とても腹立たしいことのように思えてきた。悲しさよりも、怒りのほうが大きくなりつつあるのを感じながら、自分が本当に怒りをぶつけたい相手は、きっと自分なんだと思い当たった。

 私はMさんに、もう何も伝えることはできない。あんなことがあったねとか、いろいろ連れてってくれてありがとうとか、あのとき本当に救われたとか、私がMさんに面と向かって伝えることも、それを聞いたMさんがどんな表情をして、どんな言葉を返してくれるのかを知ることも、永遠に叶わない。Mさんはもう死んでしまったから。

 なぜ今までそれをやらなかったんだ、後悔するくらいなら最初からやっておけばいいんだ、取り返しがつかなくなってしまってから実はこんなこと思ってたんだって言ったって、そんなの何の意味もないんだ。そういう自責の念が、私の怒りの正体だった。

 人の死に触れたとき、私たちは多かれ少なかれ自己を省みる。しかしそこから得た教訓を、私たちはどれくらい現実的なものとして日々活かせているのだろう。人生には取り返しのつかないことがあり、時間を取り戻すことはできないのだということを、どれほど”本当の意味で”理解できているのだろう。

 死んでしまった人にはもう、何もしてあげることはできない。伝えようと思えば伝えられた言葉は行き場を失い、永遠に発せられることはない。発せられてはいけないのだ。伝えられる術を完全に失ってしまった後で、「実はこんなふうに思っていたんだ」なんて言うのは卑怯で、それは死者に対する冒涜である。後出しジャンケンにもほどがある。伝えたいことも、伝える手段も機会もあったのに、それを放棄したのは他ならぬ自分である。その事実をきちんと受け止めなければならない。

 どうして自分は、こんなに無反省で、無自覚で、身勝手なのだろう、と思う。
 いつも同じことの繰り返しだ。ある地点で成長をやめてしまったのかと思えるほど、過去から学ぶということができない。
 でも、それでも、私はこれからも生きていかなければならないし、現実から目をそらすことは許されない。そして、Mさんの死に触れて感じたことを、忘れてはならない。今度こそ。

 すべては、生きるために。すべては、生きているうちに。



 Mさんの死に寄せて。
 ご冥福を、心からお祈りします。

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