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走ることは、瞑想に近い行為

 ランニングをすることによって得られる効用には、様々なものがある。脂肪を燃焼させることによるダイエット効果や、身体に一定の負荷をかけ続けることによる筋力増強、そして持久力の向上などだ。実際に僕も、走り始めた頃と比べると足の筋肉がだいぶん付いたし、疲れも感じにくくなったように思う。

 でも僕は、そういった肉体的な変化よりも、精神的な変化をより強く感じていて、そのことについては以前に何度か書いたことがあるとおり。

ランニングを一年続けて変わったこと
 今月でランニングを始めてちょうど1年が経った。今までも走ることについては何度か書いたことがあるけれど、1年という節目を迎えたので改...
ランニングを続けることで得たひとつの教訓
 ランニングを続けることによって得られる変化は、何も肉体的なものだけでなく、精神的なものであることが多かったりする。 参照:『ランニン...

 特に最近では、走ることには瞑想に近い効果があるのではないかと感じている。

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自意識から自由になる

 この「ランニング = 瞑想」説は、高城剛さんも自身のメルマガで何度か言及されていた。「頭で解決できないことは身体で解決する」というようなことも仰っていて、その考え方に共感を持つ部分も多い。けれども、ランニングというのは基本的には苦しい行為なので、なかなかそれを実感することはできなかった。

 最近は3ヶ月ほど1日も休まずに走り続けているせいか、ようやくランニング中に「自分が開放されていく」ような感覚を覚えるようになった。走りに出ないと、自分の中に何か不純物がたまり、それが腐っていくような感じがするのだ。

 走ることで、自分の中の何かを少しづつ解き放ち、身体にまとわりついた見えない糸のようなものを振りほどいていく。自分の中により深く潜り、自意識から自由になること。そんなふうに、それまで何かに「耐える」行為であったランニングが、自分から何かを「開放する」行為へと変わっていった。

走っている最中にできることは、走ることだけ

 走っている最中には、いろんなことを考える。仕事のことや、昨日の飲み会で喋りすぎてしまったことや、今日一日の予定のことなど、実にさまざまなことが頭に浮かんでは消えていく。そのことについて、あれやこれやと考えを巡らせるのだけど、結局は結論が出ないことも多い。

 だから、「今そんなことを考えても仕方ないんだから、とにかく走ることに集中しよう」と自分に言い聞かせ、ひたすら足を動かし続ける。その間にももちろん、いろいろな思惑が頭に浮かんでは消えていく。そしてそれらを振り払う。その繰り返しだ。

 そして走り終えると、さっきまでごちゃごちゃと考えていたことがいつの間にか消えている。走ることでそれらを振り落としてきたかのように、自分の中に何も残っていないような清々しい感覚に陷る。

 最近の自分はその感覚がとても気持よくて、それが毎日走りに出るモチベーションになっていたりもする。自分には瞑想をする習慣はないけれど、走ることが、それに代替する行為になっている。そしてそれは、今の自分にとってとても大きな意味を持つものである。

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