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どうせ傷つくなら、戦ってから傷つけ

20160105

 日々生活していれば、自分の納得のいかないことや我慢ならないこと、腹の立つことって、そりゃあたくさんあるでしょう。嫌なことなんて何にも無く、毎日楽しいことばかりだみたいな人がいたとしたら、それは感覚が麻痺しているんじゃないかと疑ってしまいたくなる。

 特に、こと「仕事」に関しては、そういった鬱憤がたまりやすいんじゃないかと思う。ほとんどの人にとって仕事というのは、自分の一存で何かを決めたり変えたり、簡単にはできないからだ。自分の意見が通らなかったり、どう考えても役に立たなそうなアイデアが採用されたり、理不尽な命令を受けたり、そんなことはしょっちゅうある。

 そういったときに、思わず愚痴や陰口を言って、腐ってしまいたくなる気持ちもとてもよく分かる。けれども、やっぱりそれだけではいけないと思うのだ。

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ささやかな、最大限の抵抗を

 そんな状況に直面したときに大切なことは、腐らずに、自分ができる最大限の抵抗をしてみせることだと思う。自分が考えるベターな解決策やアイデア、反論を正々堂々と提示し、その是非を問うことだ。

 自分は今の状況に納得がいっていない、だから変えたいと思う、具体的にはこういった方法で〜、と自分の考えをまずは周りに知ってもらい、その反応を伺い、それを受けて自分の考えを改めて見つめなおすことだ。

 自分の考えが正しいか正しくないかということは、ここではさほど問題ではない。重要なことは、自分の考えをきちんと相手に伝えることにある。「こうしたらもっと良くなるんじゃないのか」と、自分なりの提案をすることだ。

無自覚の被害者意識

 僕が我慢ならないのは、不満だけはいくらでも言うくせに、自分では何も行動しようとはせず、被害者ぶって独りよがりに傷ついたふりをする人だ。抵抗を試みず、自ら土俵の下に降り、卑怯だと野次を飛ばす人たちである。

 戦うことを他人に丸投げするくせに、その戦いぶりにイチャモンをつけ、自分ならもっと上手くやれると嘯く。「私たちは被害者なんです」と訴えるくせに、「でも何もしたくはない」と平然と言ってしまう。

 そういう人たちは、何かを始める前から、すでに諦めてしまっている。まだ何もしていないのに、もう何かを終えた気になっている。何よりいちばん厄介なのが、そういった人たちに限って自分は「被害者」だと思っているということだ。そして似た者同士で傷を舐め合い、愚痴を言い合う。ほんとうに、彼らに植え付けられたデフォルトの被害者意識というのは、いったいどこからやってくるのだろうと、見ていて不思議に思う。

 単純に、「文句があるなら、お前がなんとかしろよ」と思ってしまうのだ。

どうせ傷つくなら、戦ってから傷つけ

 現状に不満があるのであれば、声を上げてそう訴えればいい。そして、自分にできる範囲でその満足のいかない現状を変えようと試みればいい。今のままではイヤだけど、今を変えるのもイヤだでは、駄々をこねる子どもと一緒ではないか。

 納得できないなら、精一杯抵抗しろ。どうせ傷つくなら、戦ってから傷つけ。

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