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走ることについて語るときに僕の書くこと

 先週末、数ヶ月ぶりに20kmを走った。
 初めて20km走ったときは、17kmくらいからの残り3kmが異様に長く感じられ、自分にはとてもじゃないがフルマラソンなんて走れっこないと思った。これをあともう一回繰り返すなんて、正気の沙汰じゃないと。

 二度目の20kmランは、前回ほど苦しくはなかったものの、膝にかなりの疲労を感じた。体力的には問題無さそうだったけれど、身体のあちこちが悲鳴をあげていた。

 それでも、やっぱり長い距離を走るのは楽しいものだと改めて実感した。10km走るときよりも、さらに自分の感覚が研ぎ澄まされていく感じがする。自分の内面により深く潜り、自分の身体と対話をしているような不思議な感覚に陷る。

 そして、走ることと同様に、走ることについての文章を書くことも、自分にとっての楽しみのひとつになりつつあるように感じている。

 そんなわけで、今日は今までに自分が書いた「走ることについて」のエントリをまとめてみようと思う。今読み返してみると、今と変わらない部分や、何かの途上にいることが感じられる部分があって、これはこれでおもしろい。

走ることについて書かれた文章と、走ることから得られるもの
 走ることについて、「健全な肉体に宿る不健全な魂」というエントリを書いたことがある。  まがいなりにではあるけれど、ランニングは今も継続で...

 初めて10km走った後に書いた文章。村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』というエッセイと、慎泰俊さんの文章を紹介したエントリだ。僕はこのエントリの中で、走ることによってそこからしか得られない充実感や達成感、目標を設定し達成しようとする意志力を得ることができると書いた。

 その考えは今も変わることはないし、当時よりもより強く感じている。この文章を書いたことで、走ることについて何かを書くことは自分にとって何かしら意味のあることなのだと気付くことができた。そういった意味でも印象に残っているエントリ。

ランニングを一年続けて変わったこと
 今月でランニングを始めてちょうど1年が経った。今までも走ることについては何度か書いたことがあるけれど、1年という節目を迎えたので改...

 ランニングを続けて1年経った頃に書いたエントリ。肉体的な変化、精神的な変化、両方あったけれど、やっぱり自分にとっては精神的な変化がより大きな意味を持つものであったという内容。

 私にとって、初めて10km走ったときは自分が変化したことをはっきりと実感できた。それまで、「10kmなんて絶対無理だ。5kmでもしんどいのに、その倍なんて」と思っていたのだから、当然といえば当然である。

 これは20kmを走るときにも感じていたし、今年フルマラソンを走ろうとしている今の自分が感じていることでもある。今の自分がおそらく限界だと感じているそのさらに先へ行くこと。走ることとは、そういう破壊と構築のプロセスそのものである。

5km走るときよりも10km走るときの方が1kmあたりのタイムが良くなるのはなぜか
 私が習慣化できている数少ないものごとの内のひとつに、ランニングがある。走り始めてからだいたい1年5ヶ月が経過したが、天気が悪かったり予定が...

 長距離を走るときの方が、短距離を走るときよりもkm当たりのペースが良くなるのはなぜか、という自分なりの考察を書いたもの。僕はその理由を「難易度の高い目標を設定することで、肉体と精神が奮い立ち、結果的に良いパフォーマンスを発揮することができる」と結論づけた。そして、それはあながち間違っていないと今でも思う。

 先日も、10km走ったときと20km走ったときのタイムを比べてみると、20km走ったときの方がkm当たりのペースは早かった。自分が自ら設定した目標というのは、無意識レベルで身体や脳にさまざまな影響を及ぼしているのだと思う。

 むやみやたらに困難な目標を立てたり、ゴールを遠くに設定するほうがよいと言うわけではないけれど、容易に達成できる目標ばかりでもいけないのだと思う。

ランニングを続けることで得たひとつの教訓
 ランニングを続けることによって得られる変化は、何も肉体的なものだけでなく、精神的なものであることが多かったりする。 参照:『ランニン...

 この頃から、1ヶ月に200km走ることを意識して取り組み始めた。月に200km走ろうと思うと、基本的には毎日走ることが条件になってくるので、面倒くさいとか、天気が悪いとかはあまり言ってられなくなる。とはいえ、たまには休みたいときや、走りたくても走れないような天気のときもある。

 そういった理由から「明日走ればいいや」と先延ばしにすると、結局次の日も別の理由で走れないということが何度かあった。その日にやろうと思えばできたことを先延ばしにしたがゆえに、予期せぬアクシデントが重なり、走りに出る日が削られてしまうのだ。

 そういったことから僕が学んだのは、「できることは、できるうちにやること」というもの。これは天候に左右されやすいランニングに限った話ではない。いま目の前にある機会が、この先も同じようにやってくるとは限らないということだ。それからというもの、「今できることは、できるだけ今のうちにやっておこう」と強く思うようになった。

走ることは、瞑想に近い行為
 ランニングをすることによって得られる効用には、様々なものがある。脂肪を燃焼させることによるダイエット効果や、身体に一定の負荷をかけ続けるこ...

 僕はつい最近まで、走ることが「楽しい」とはあまり思わなかった。ときおりランナーズ・ハイのような状態になることはあっても、走ることというのは基本的には苦しいことだ。でも、最近になってようやく、走ることで自分が少しづつ開放されていくような心地よさを感じられるようになった。

 走ることとは瞑想のようなもので、次から次へと浮かんでくる思念から自由になろうとする行為である。自分にまとわりつく自意識のかたまりを、振りほどいていく作業である。僕は走り続けることでそういった感覚を得られるようになった。それはとても気持ちがよく、他の何かでは代替できないものである。

***
 他にも走ることについてのエントリはいくつか書いているのだけど、自分なりに印象に残っているものをピックアップしてみた。

 今年の大きな目標のひとつとして、フルマラソンを完走するというものがある。42.195kmを走り切ったあとの自分はどんなことを感じ、そのことについてどんな文章を書きたいと思うのか。今から楽しみだ。

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