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約束をひとつ破るたびに、あなたの信用は確実に失われていく

 僕たちは多かれ少なかれ、また大小の差こそあれ、いろんな約束事を取り交わし、それらを守ることによって日々を営んでいる。その内容や相手との関係性はさまざまだけれど、約束事を守ることで何かを得たり、逆に何かを失ったりする。その何かを、僕たちは一般的に「信用」と呼ぶ。

 信用という概念は、曖昧だ。それは目に見えるものではないし、長さや重さのように何かで測ったりすることもできない。だから、自分がどれくらい他人から信用されているのか、客観的に知りうる術がない。誰か親しい友人に、「僕はいったいどれくらい信用されているだろうか」と聞いて回るわけにもいかない。けれども、信用の目盛りというか、度合いのようなものは確実に存在していて、それは自分の言動によって正確に上がったり下がったりする。

 もし僕が、他人に対して不誠実な態度や言動を取ったとしたら、僕の信用は間違いなく目減りするだろう。それがどんなに些細な、取るに足らない(と仮に僕が考える)ようなことだとしてもだ。そして困ったことに、僕は自分の信用が失われたことを知らされるわけでも、また実感できるわけでもない。ただ相手が、「こいつのことは信用ならない」と心に決めるだけなのだ。

 僕は、例えば仕事をしていて、依頼していた納期が守られなかったとき、告げられていたことと違う事実を知ったとき、相手からしかるべき返答がもらえなかったときなどに、よくこの「信用」というものについて考えを巡らせる。いま、僕の中で、この人に対する信用は確実に目減りした。けれども、相手はそのことには(おそらく)気が付いていない。僕はこの先もきっと、この人に対して変わらずに接するだろう。同じように仕事を依頼し、回答を催促するだろう。けれども、僕の中には「この人のことは、あまり信用できないな」と感じている自分がいる。相手からしたら、僕は以前となんら変わりはないだろう。でも、そうではない。僕が見ているあなたは、僕からの信用をいくぶん失ってしまったあなたであり、あなたが見ているのは、前ほどあなたのことを信用すまいと心に決めた僕なのだ。

 もちろんこれは、僕が信用を失う側に回る可能性だって大いにある話である。ああ、あのときの対応はまずかったなとか、もうちょっと違う言い方があったなとか、心当たりがある分にはまだいい。恐ろしいのは、自分が気づいていないところで、相手から「こいつのことは信用ならん」と見切りをつけられてしまうことである。そんなことを考えると、僕は交わした約束はできる限り守り、他人に対しては誠実な態度で接しよう思うのだ。

 もしかしたら、あなたには「約束を破った」という認識すらないかもしれない。相手がまさかそんなことで怒るとは思いもよらないかもしれない。けれども、あなたが約束を守らなかったことに対してどのような感情を抱くかというのは、あなたではなく、あなた以外の誰かの問題なのだ。

 信用というものは、積み上げることの難しさに比べ、失うのは一瞬だ。そして、いちど失ってしまった信用を取り戻すのは、文字通り至難の業である。

 僕は決して、「他人から信用されたい」と思って日々を送っているわけではない。自分の大切な人から、「こいつは信用ならない」なんて思われたくないという、ただそれだけである。

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